正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

隠居志願は消え去って地味な足し算を指折り数える日々となる

お盆休みの頃は夜空を見上げる。
ペルセウス座流星群の極大日が毎年この時期にやってくる。
子供の頃から宇宙が大好きで、夏休みのメイン・イベントといえば流星群だ。
流れ星は、地球と宇宙の境界線を立体的に教えてくれる。
子供の頃、流れ星が流れると嬉しくて身震いした。
小学校高学年の時に、流星はポロン、ポロンと空から落ちるようだと作文で表現した。
そしたら当時の担任の先生が、ポロンと流れ星は流れないだろうとなぜか指摘をし、作文の書き直しを命ぜられたことをよく覚えている。
当時11歳だった筆者は、30歳を過ぎた担任よりも流れ星を多く目撃していることを自負していた。
当時の筆者には、流れ星は地球と平行に長くスーと流れるもの、シャーと斜めを横切るもの、点のように垂直に落下するもの、そしてポロンと短い距離を流れるものと、それぞれのイメージがあった。
「先生は何も分かっていない」と、子供ながらに口答えしたのが今では懐かしい。
筆者は、子供の頃から自分より年上には厳しい眼を向ける傾向にあり、それは今も変わっていない。
自分より年齢が上ならば、長く生きているので自分より利口だろうと安直に考えており、そうでないと判断すると反抗的になる。

週末に本棚を整理していたら、玉村豊男さんの『隠居志願』を見つけた。
7年前の夏にこの本を購入した時、筆者は40代前半で「もう隠居してやろ」と考えていた。
ところが、40代後半になった今、心は隠居としているのに脳みそがそれを拒み続けている。
「まだまだ若いもんには負けない」というような心構えは全くなく、既に一部の若いもんには負けていることを自覚している。
”若いもん”と書くと自分が”おっさん”のような気がするけれども、最近は親しみを込めて”おじさん”と若いもんに呼ばれるので、やっぱり”おじさん”なのか。
”若頭”と呼ばれたい気もするけれども、組関係者のような肩書きなので止めておこう。

よくよく考えてみると、隠居を望んだ40代前半よりも、今のほうが遥かに忙しくなってしまっている。
「相変わらず暇そうですね」と人から言われていたのを良しとしていた人間だったが、どこで道を間違えてしまったのだろうか。
それでもなお、「はやり暇そうですね」と、久しぶりに会った人には言われてしまう。
やる気がなさそうな雰囲気を全身から醸し出しているキャラは本当に損だと思う。
人はやはり見た目が大切なのか、自己ブランディングが重要なのか。
しかし、本当にやる気が失せる瞬間風速的な波動を体内から産み出すこともあって、それは自分より年配者の言動から生じる場合が多い。
つまり今の筆者には、ご年配で現役の50代、60代には敏感になっているようだ。

筆者は、40代というのは自分のキャリアを否定できる最後の年代だと考えている。
いい年こいての自己否定は、苦痛で困難な作業を強いるだろうが、いつの間にやら人生100年時代となり、それは必須作業となってしまった感がある。
佐々成政のさらさら越えの如く、厳冬期の雪山をいくつも超えるかのように見栄やプライドやメンツを踏破し、徳川家康ではなく己の心に再挙を促すことができるのか。
見事に再構築できた人は何歳なっても成長できるし、実際にお若い。
変われなかった50代、60代の成れの果てを見れば、絶対に変わるしかない。
彼ら(多くは男性なので彼らと書かせて頂く)は、過去の栄光や自慢話、知ったかぶりしかできやしない。
人生の目標や価値観を軌道修正できなかった御人のお話では、御伽衆には加われない。
そうだ!
そうなのだ!
筆者が今とても忙しいのは(仕方がないので自分で忙しさを強調してみた)、キャリアの自己否定と再構築に忙しいからだ。

あいにく1+1=2の足し算しか知らない我が御身。
一旦全てを水平線のゼロにリセットして、地味に数を足していくしかない。
キャリアは掛け算と仰せの向きもあるが、それは頭の良い御仁なら可能だろう。
但し、1x1x1では1のままなので、掛け算を無理やり使ってみたところで2にもならないことはご用心。
そもそも才能指数1以下しか持ち合わせていない筆者には、足し算しか計算方法がないのだが、それでも0.5を3つ足せば1.5になる。
自分のペースで地味な足し算を指折り数える日々となった。
70歳に到達するまでには両手が必要であって欲しい。
そのようなわけで、隠居志願はいつの間にか消え去っていた今日この頃なのだ。

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