このブログも書き始めて、めでたく1ヶ月が経った。
おお!1ヶ月続いたか!
”書くことは人を確かにする。”とは、フランシス・ベーコンの名言。
このブログを書き続けることを己に課し、筆者も確かな人間になりたいと思う。
この 1ヶ月は筆者の薄っぺらい就活体験と、就活関連のトピックを綴ってきた。
いよいよここからは社会人編に突入していく。
筆者が「正社員フリーター」、 悪く言う人がいれば「多重転職者」になる様を描いていく。
改めて確認すると、筆者が社会に出たのは1995年4月のこと。
筆者は24歳だった。
1995年といえば、筆者が就職する前月の3月20日に、あの地下鉄サリン事件があった年だ。
バブルは2年前の93年にはすっかり崩壊していた。
95年には住専問題があった。
どん底の不況はまだまだ始まったばかりだったが、じきに景気は上向くという根拠のない楽観論もあった。
いよいよこの不況は深刻だとなってきたのは、筆者が社会に出て2、3年後だったと思う。
大きいイベントで、97年には北海道拓殖銀行と山一證券が、翌年98年には日本長期信用銀行が破たんした。長期信用の名を持つ銀行が破たんしてしまうのだから、いよいよヤバくなった。
その間、筆者は1回目の転職を97年にすることになる。
改めて振り返ってみると、平成時代の長い不況(失われた20年)は、筆者自身の仕事人生にとって直接的に大きな影響はなかった。
馬鹿の一つ覚えのように、毎年年明けに「日本経済復活」なる見出しが経済誌に踊るわけだが、その見出しに藁にもすがる気持ちの人たちも一定数いたのだろう。
その点、筆者は幸運だった。
在籍した企業が、平成不況によって倒産や破たんしたこともないし、オフィスの閉店や部門の統廃合に巻き込まれたこともない。
外資にあるあるの、日本での営業撤退に伴う日本法人のクローズも経験ない。
平成不況のあおりで会社都合の失業したこともないし、 自宅待機などの経験もない。
給与や賞与のカットの経験もないし、賞与の現物支給も経験ない。
接待交際費のカットなど関係のないポジションだし、取引先から接待されるような重要人物でもなかったので、接待交際費のカットは全く気にならなかった。
出張旅費の削減は、やや出不精の筆者には有難かった。
在籍した企業の、経営陣の経営努力の賜物であろう。
筆者は経営陣に素直に感謝するのみだ。
筆者は何もしていない。
恩恵に与かっただけだ。
さて、まずはピカピカの新入社員、ルーキー編の始まりとなる。
筆者なりの当時の精一杯のサバイバル術で、「正社員」で社会に出るという目的は達成された。
1995年4月当時、新入社員の筆者が身に着けていたアイテムは、この「正社員」の身分のみだ。
しかも、設立3年目の社員・アルバイト含め20名ほどの中小企業での「正社員」の身分だ。
そして今日まで筆者が身に着けているアイテムは、この「正社員」と、もう1つのアイテムの「フリーター」だけだ。
さて、筆者はどうなりますか。
皆様、引き続きご愛読ください。
筆者の「正社員」の身分を求めた就活ストーリーは、こちらのリンクからどうぞ。
freeterbutworkasafulltimeworker.hatenablog.com
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