正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

【1社目】啖呵を切って、はじめての異動

このブログも30回目を迎えた。
「読む価値のあるものを書くか、書く価値のあることをしなさい」 とは、ベンジャミン・フランクリン。
筆者は読み価値のあるもは書いてもいないし、書く価値のあることもしていない。
ただ「自由」でありたいのだ。

さて、筆者の社会人1年目に話を戻そう。
1995年に戻る。
4月に社会人となり、その年の12月までには、サラリーマンとの「未知との遭遇」も9ヶ月経った。
まあ、もともと正社員の身分で社会に出たかった人間だ。
会社で働くことのイメージなど無いも同然。
学生時代の経験は飲食とコンビニのアルバイト。
当時はインターンシップもない。
筆者にとって正に「未知との遭遇」だった。
逆もまたしかりで、反対側から見れば、価値の逆転となる。
A社長やC営業部長にとって筆者は、かのリチャード・マシスンのSF小説「地球最後の男」のような異質の存在だったのだろう。
そこまでは大袈裟ではないか。
書きながら笑ってしまった。

社員15名程の中小企業が、就職氷河期の始まりに背伸びをし、大卒新卒6名を採用した。
そのうちの1名が、サラリーマンのお作法も知らず、入社後の目標も持たず、意味なく過ごしていた。
会社なりに考えた新人教育は、ビジネス・マナーや仕事の知識やノウハウ以上に新人に従順さを求めた。
新人は自分の価値観が否定されると身構え、やや過剰気味に反発した。
現実はこんなものだ。
お互いが「力んだ」結果の9ヶ月間だった。
しかし、筆者は「正社員」で入社してくれたこの会社には今でも感謝している。
バブル崩壊直後の経済と雇用状況、働き方の多様性もへったくれもない「正社員」「契約社員」「派遣社員」の分かりやすい三段階身分格差。
当時の筆者なりに考えた結果の「とりあえずの正社員」であり、それを叶えてくれた会社だったからだ。

そして年が明け、1996年となった。
年明け早々の1月10日ごろ、C営業部長に手配課への異動を伝えられた。
告げられた場所は会社の近くの喫茶店。
お昼下がりの午後だった。
筆者は、少し意外に思ったが、営業という仕事に全く思い入れが無かったので、「承知しました」と素っ気なく即答した。
しかし、C営業部長が「勿論君はやったことないし、半年ぐらいは全く使い物にならないと思うんだよね。」と言ったのでカチンときた。
「全く使い物にならない」とはどういう了見だ。
C営業部長は必要以上に耳障りな言葉を続けた。
どうやら、ランチを筆者が断ったのがムカついていたようだ。
C営業部長は、筆者とランチに行き、異動を告げようと計画をしていた。
ところが、筆者は同期との先約を優先し、後から声をかけてくれたC営業部長とのランチを断った。
筆者にとって、筆者の予定は上下関係や利害関係といった損得とは全く関係ないものなのだ。
当時も今もそうだ。
目上の人間にお昼や夕食に誘われても、先約があれば断っている。
人生を単純にしておきたいのだ。

1月13日、14日、15日の土日祝の三連休中、筆者はC営業部長の言葉にずっとムカムカしていた。
三連休明けの1月16日の朝の朝礼で、筆者の異動が全社員に伝えられた。
筆者は、「ちょっといいですか」と司会の人を遮り、「役に立たないと言われたが頑張ります」と啖呵を切った 。
C営業部長を睨み付け、オフィスは瞬時にツンドラのように凍った。

こうして、筆者にとって仕事人生で最悪の1年の幕が開いた。
(つづく)

 

「地球最後の男」の原題は、「I Am Legend」。そうか筆者はレジェンドだったのか!?

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