90年代半ば、海外旅行業界の人材を振り返ってみる。
筆者が就職した頃の話だ。
当時、大手と新興格安代理店との間の人材格差は、分かりやすくあった。
筆者は営業として各代理店にお邪魔をして、この1点だけはよく理解できた。
大手は、特にJTBは、就職ランキングの上位に社名が載るだけのことはあった。
失礼ながら、「頭が悪そう」に見える人は少なく、中堅校以上の大卒サラリーマン的な安心テイストが満開だった。
一方の格安「バッタ屋」代理店は、見事にその逆だった。
業界内の会社ヒエラルキーが、見事に人材格差となって現れていた。
筆者はまじまじと近い距離で感じ、思うところも多々あった。
当時のアホ筆者でも、「大丈夫か?」と思えるような人達がそれなりの人数いた。
H.I.Sは、1995年に株式の店頭公開を果たすが、当時は上位校を満足に採用できていなかったと思う。
人の入れ替わりも激しかったとよく記憶している。
「会社に合わない人は早く辞めてもらったほうがいい」という創業者の方針によるものだと思う。
ちょっとだけマイルドな光通信みたいな社風。
当時の筆者はそう感じていた。
「大手ができない格安料金を可能にしているのは、社員の給料を安くしているからよ」、と先輩社員が教えてくれた。
自社もその格安「バッタ屋」に軒を並べていると実感した。
新しい製品を持っているわけでもなく、自ら新しい市場を作る訳でもない。
よってベンチャーではない。
ただ「より安い料金」を提供していたのだ。
しかも、設立の浅い小さな軒にいたのだ。
社会で何の実績もない新卒が、少しでも待遇がいい軒下に身を置くのには、学歴は意味があるのかな。
20代半ばの筆者は、少しそんなことを思った。
ただ、30歳を過ぎると、社会で飯を喰っていく上で学歴は意味がない。
この事は後に十分に理解してしまった。
ついでに、社名も頭に「元」が付くと意味がなくなる。
社名で生きてきた人間の不幸はここにある。
そういえば、飛び込み営業にすらエレベーターまで丁寧に見送りをする格安代理店があった。
書いているうちに、格安業界内では品がいい部類の会社があったことを思い出した。
98年に倒産してしまった四季の旅社だ。
海外格安旅行では H.I.S に続く知名度を誇った1社だった。
その四季の旅社で管理職(確か支店長)だった人物が、夕刊紙に会社倒産から再就職までの手記を連載していた。
週末になると、競馬の予想目当てで夕刊紙を買っていた。
記事が目に留まった。
その連載を見つけた時は、初めての転職を果たした後。
旅行業界とは関係のない世界に身を置いていたが、キャリアを考える上で思うところがあった。
ビジネス誌など一切読まなかった20代の筆者は、おやじ夕刊紙から学ぶものを見つけた。
その30代半ばの元管理職は、四季の旅社倒産後、失業手当を貰いながら再就職を目指していた。
30代半ばの若さであっても、支店長であっても再就職は容易でなさそう。
失業中の出来事の中には、この先もう海外旅行など滅多に行けないからとタイ旅行のくだりもあった。
旅行好きが高じて格安業界を渡り歩いたところで、給料や待遇は変わらない。
格安業界は薄利多売。
量をこなす根性と、自分の時間を大量に捨てる覚悟があれば、スキルなどたいして必要がない。
待遇のいい大手は、年齢や学歴から転職も無理そうだ。
支店長の経験やスキルは売りにならない現実。
旅行好きなのに、30代半ばでもう人生最後の旅行のような失業中のタイ旅行。
社会人を10年以上経験していても、学生の卒業旅行と同じ感覚か。
キャリアには人と違う知恵と工夫が必要と、当時ぼんやりと感じたのを覚えている。
ねたみ嫉妬満漢全席サラリーマン紙の記事に共感したり、身につまされたりする場合ではない。
もちろんエロ記事に逃げてもダメなのだ。
(つづく)
バタバタと落ちる様子から「バッタ屋」と呼ばれるようです。昆虫のバッタは飛べてしまいます。