#就活をもっと自由に というハッシュタグ が 目についたので、先日呟いてみた。
就活をもっと自由に、か。就活に失敗してもその先何度もやり直しがきくことを知ることが就活を自由にするのではないかな。就活は人生でたいしたイベントでないということ。
「人生でたいしたイベントでない」と呟いたので、「就活失敗したくないよね。失敗できないよね」と煽る人材会社には、ひんしゅくものだな。
このハッシュタグ が目に留まる前に筆者は本ブログで、就活について幾つか書かせて頂いている。
改めてここに纏めさせて頂く。
freeterbutworkasafulltimeworker.hatenablog.com
働いたことのない学生が、初めて働く会社選びを失敗するのは当たり前のこと。
就活生は、就活できる自由を満喫すればいい。
筆者など、就活のスタートラインにすら立てなかった不自由な人間だった。
さらには、転職できない先輩社会人が持っていない自由があることを理解して欲しい。
就活は就社ではない。
就活は就社という意識ならば、「会社を勤め上げる」ことを主眼に置いている先輩サラリーマンと意識は変わらない。
社会に出る前から、既に心は中高年か。 freeterbutworkasafulltimeworker.hatenablog.com
首尾よく就職して、その1社に人生を委ねる勇気があるなら、その勇気は別のところ、例えば、転職活動に使ったほうがいい。
転職は、人間皆平等に自由だ。
職業選択の自由だ。
転職活動とは、自分から能動的に、「今」より少しでもよい環境を求める為のものだ。
転職活動も自由だが、その活動の自由度は人によって変わる。
転職活動で大きな自由を獲得したかったら、自らの努力でキャリアを構築していくしかない。
自らの努力なので、努力は本人の自由だ。
人生100年時代の長いキャリアの過程で努力していけばいいので、就活の出来不出来など小さなイベントだ。
freeterbutworkasafulltimeworker.hatenablog.com
そもそも、「就活をもっと自由に」と訴えているので、なにか不自由を感じてのことだと思う。
人間社会の不自由とは、おおよそ相手があってのこと。
就活の場合、相手は会社か。
就活は会社とのお見合いみたいなものだから、相手にも主張する自由はある。
相手の主張も受け入れる自由は大切。
就活で同じ格好に不自由を感じ、就活をもっと自由にと主張する輩は目線に入れなくていい。
就活生でもなく、会社側の人間ではない外野の連中がこう言い出したら、ただの雑音なので無視すべきだ。
リクルートスーツを着こなすことは、お見合いの手段の一つに過ぎない。
目的はあくまで仕事を得ることだ。
就活は、就活生と会社がお互いに奇跡のお見合い写真を繰り出しあうようなもの。
人間どんなことでも真剣に楽しめれば、おのずと自由な心が生まれてくる。
「もっと自由を」と相手に主張する前に、まずは自分の心を点検してみよう。
そして、「就活できる自由」を真剣に楽しもう。