前回、ダダ、ダダ書きすぎだ。
QUEENの名曲「Radio Ga Ga」をYoutubeで聴いていたら、「Radio Da Da」とサビの部分をお陰様で空耳してしまった。
さすがのフレディー・マーキュリーも、ウルトラ怪獣の名前は存じ上げなかったろう。
三面怪人ダダ、もといE課長の部下となり2週間経った。
筆者はいい気分で働いていた。
働いているという実感が湧いた。
手ごたえも感じた。
よっしゃ!
Yes !
Come oooonnn !
Booyah !
高揚感もあった。
優越感もあった。
異動して2週目が終わろうとしていた金曜日の夕方。
筆者は気分よく会社を出るはずだった。
退勤しようと席を立った時、「まだまだ修業が足らないなぁ」と、呟きよりも大きな声で言った。
「当たり前でしょう!」
ややヒステリックな声の返答があった。
筆者は驚いて声の方向を向いた。
声の主はE課長だった。
今思えば、この時、ゴングというかファンファーレが鳴った。
歴史情報番組に例えるならば、「その時歴史は動いた」。
正に「その時」だった。
但し、ゴングもファンファーレもその時も、全てはパワハラの始まりの合図だった。
筆者には暗黒の一年の1996年。
再現映像に乗せて、松平定知元NHKアナウンサーにしんみりと語って頂きたい。
「お疲れ様でした。」
座席の横のロッカーから上着を取り出し、筆者はE課長のほうを向いて挨拶をした。
その場は、何事もなかったようにオフィスを出た。
「E課長は何か気に喰わなかったようだな」と、池袋駅までの雑多な帰り道を歩きながら思った。
翌週からの会社の光景は一変した。
「まだまだ修業が足らないな」 が、E課長のプッツンの狼煙となってしまった。
1996年1月29日の月曜日以降、見事に何でも筆者のせいとなった。
E課長の怒号が、1日最低3回はオフィス内に響き渡ることになった。
E課長は、異動して2週間(正確には9営業日)の筆者の仕事ぶりが、実はあまり気に入ってなかったようだ。
筆者は全く気がついていなかった。
「のぼせて」いたから仕方がない。
E課長は会社自体も、全く気に入ってなかった。
筆者がE課長の部下となった時は、E課長はまだ入社6ヶ月目ぐらいの在籍だった。
E課長は間もなくして、会社に退職届を提出した。
結果は、A社長やB副社長に数か月に渡り説得され 、渋々会社に残ることになった。
その間に、会社がE課長の後任候補を入社させたが、その後任の女性も入社1ヶ月で退社してしまった。
E課長が、ヒステリックに「貴方が私の後任ですから!」とプレッシャーをかけ続けた結果だった。
「私にはできません」と言い残し、後任候補はあっさり去っていった。
そして、E課長が会社に残った。筆者はパワハラを10ヶ月も受け続ける結果となった。
筆者に非があるのは、ほんの一部。
E課長が公私共々置かれた環境のストレスの発散の為に、筆者は怒られ続けた。
「坊主憎けば袈裟まで憎いだよ。」と、心配してくれる同期には笑いながら言っていた。
あまりにも理不尽な事柄で怒られ続けていたので、逆に今では喜劇として消化されている。
人生は近くで見ると悲劇だが、 遠くから見れば喜劇である。
(Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.)
かの喜劇王チャップリンの名言。
喜劇の昔話となっているのは、とても幸運なことだ。
E課長の筆者への怒りの原因の多くは、筆者に非がないことばかりだ。
筆者と全く関係ないことで怒られることもあった。
それゆえ、意外と冷静に日々与えられた業務に取り組むことができた。
「修業」とは楽しくないものだ。
ド根性の演歌の世界なのだ。
大人しくやり過ごそう。
そのうち社長や副社長も気がついてくれる。
その考えが、さらに事態を悪い方向に向かわせることを、その時は全く予見していなかった。
(つづく)
氷河期に座禅。このくらいやらないと修行と認められないのか!?