1ヵ月ぶりに筆者の最初の会社に話を戻そう。
1996年1月に社内異動をした。
業務関連の仕事に従事してみたら、自分の能力に気がついた。
前年95年に社会人となり、ようやく飯を喰っていけそうな気持ちに少しなった。
微かな希望の光が見えて、筆者は素直に嬉しかった。
「業務なんが女の仕事じゃん」と、人に小馬鹿にされても気にはならなかった。
当時の筆者は、「社会で飯を喰っていけること」を第一に考えていたからだ。 freeterbutworkasafulltimeworker.hatenablog.com
当時はバブル経済崩壊から3年が経ち、日本経済は厳しさを増していった。
筆者は、当時持ち合わせていたオツムで考え、「飯を喰っていけるようにしなければ」という漠然とした気持ちがあった。
「頑張れば日本経済はすぐに復活する」的な、根拠のない希望的観測が巷には溢れていた。
年を越せば、恒例行事のように、「今年こそ日本経済復活!」と、マスコミを中心に賑やかになった。
高度経済成長とバブル経済に生きてきた社会人の先輩達の話など、筆者はハナから信用していなかった。
過去の成功体験が通用する時代ではないことだけは、オツムの足らない筆者でも理解していた。
筆者と同じように考えていた人は、世間にはそれなりの人数が無論いたのだろうけれども、思うや考えるや感じるだけでは事態は何も変わらない。
” Cause they're sheep, and sheep get slaughtered."
と、映画「ウォール街」のゴードン・ゲッコー氏ならこう切り捨てるのかもしれない。
「じゃあ、どうやって飯を喰っていくのか?」という問いには、具体的に答えられない自分がいた。
そんな折、異動して自分の才能に気がついた。
正直、心の内は藁をも掴む心境だったが、調子こいた。
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調子こいて業務に邁進していたら、三面怪人ダダことE課長からカミナリが落ちた。
「飯を喰う方法」をとにかく手っ取り早く学びたい筆者は、仕事の「順番」や「お作法」など気にしていなかった。
お蔭様で、筆者はE課長の不興を買ってしまった。
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人の一生は、生まれてから死ぬまでのイベントに大よその順番がある。
仕事がつまらなくなるのも、同じように順番があるのだろうか。
筆者は子供の頃、「大人は働いてお金を稼いで自由があって羨ましいな」と思った。
社会に出て最初の1社で、子供の頃に抱いた気持ちは間違えだったことに気が付いた。
働いて不自由になっている人達ばかりに出会った。
少なくとも筆者には不自由に見える人達ばかりだった。
当時E課長は社会人13、14年目ぐらい。
ご本人がご自身のキャリアを振り返れば、在籍した会社への恨みや仕事が辛かった話ばかりだった。
海外駐在もご経験していたが、「女の私は島流しあった」と口に出て、ちっとも楽しそうではなかった。
サラリーマン(ウーマン)は、恨みつらみで働いている人が本当に多いなと社会人になって理解した。
「うちの親父はサラリーマンでないからいつも楽しそうだったのかな?」とも、ちょっと思った。
オレ(私が)こんな辛い目に遭ったのだから、後輩のお前らも同じ目に遭って当然的なアホな仕事観。
よく言えば、これを「修業」というのだろうか。
恨みつらみのサラリーマン(ウーマン)職場にとって、筆者は異形の存在。
TVドラマ「ドクターX」の大門未知子なら、「私、医師免許が必要ないことはしないので!」と、カッコよく煩わしいことはせずに生きられただろう。
入社2年目、1996年はE手配課長の壮絶なハラスメントが続くことになった。
「谷川さんは天真爛漫でいいですねぇ」 と、E課長によく言われた。
最初はそれを嫌味と思わず、「はい。ありがとうございます。」と素直に返答していた。
そのうちに嫌味だと分かった時は、「毎日楽しいので」とか、「楽しい」をキーワードにして答えていた。
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お蔭様で、楽しくなさそうな日常を送っている人達からも、ますます不興を買ってしまった。
人達と複数形なのは、職場には同じような人が複数人いた。
皆さん役職者だった。
その諸先輩方から見ても、筆者は「天真爛漫男」だった。
(つづく)
ゴードン・ゲッコー役のマイケル・ダグラスはオスカーを受賞した。