正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

フリーターが非正規雇用となり、セミリタイアの夢が人生100年働き続ける平成の世だった。

筆者は、人生の6割を平成の元号で生きてきた。
社会人では過ごした時間の100%は平成だ。
前回に続き、平成回顧ブームにちょこっと乗ってみよう。
筆者なりに平成を振り返れば、2組の対義語のような4つのキーワードが思い浮かぶ。

「フリーター」と「非正規雇用」
「セミ・リタイア」と「人生100年時代」

平成始めの「フリーター」は、90年代終わりには「非正規雇用」と名前を変えた。
ミレニアム・イヤーを回った頃の「セミ・リタイア」の人生設計は、今では「人生100年時代」の働き方に変わった。
こうして時系列的に並べてみると、筆者なりに思うところがある。

平成の始まり。
日本人というだけで、好景気の恩恵を誰もが享受できた。
雇用の調整弁のアルバイトも、バブル経済に支えられ、自由気ままに好きな時間に働き、それなりの時給を稼ぐことができた。
フリー・アルバイターの略、「フリーター」が誕生した。
当時は、新しく自由な働き方の代名詞のようで、暗さは全くなかった。
現在なら「フリーランス」に同じような言葉の響きを感じる。

バブル崩壊後、しばらくは「フリーター」に悲壮感はなかったと思う。
少なくとも、筆者が学生時代に出会った「フリーター」には、悲壮感が漂っている人は少なかった。
「景気が回復したら、自分もいい年齢だし、次は社員として働いてもいいかな」と、彼らは笑っていた。
「谷川君も普通の会社員は無理でしょう?」とも、よく言われた。
景気はずっと悪く、2000年を迎える頃までには、「フリーター」は「非正規雇用」と名前を変えた。
20代後半までに正社員経験がないと、正規雇用の道は険しくなった。
両者の間には、明らかに壁ができた。
「非正規雇用」は不自由な身分となり、格差社会の象徴となった。
格差社会で無気力となると、ニートと呼ばれる人達も現れた。
日本の社会は、安価な労働力を提供する集団を生むのが、とても上手だと思う。

2000年代になると、格差が分かりやすく日常生活に溶け込むようになった。
格差の下が「非正規雇用」なら、格差の上は定年まで勤め上げる概念が無くなった。
その頃、大橋巨泉さんが『巨泉:人生の選択』を出版し、50代からの「セミ・リタイア」を提案した。
筆者に近い世代になると、早期リタイアという言葉が持て囃された。
堀江貴文さんの『稼ぐが勝ち』に象徴されるように、ITベンチャーや投資で若いうちにガッポリ稼ぐ人が現れた。
セミ・リタイアでも早期リタイアでも、若いうちにできるだけ稼いで、人生後半は悠々自適といった按配だった。

それが今では、人生100年時代の高齢化社会。
企業は定年を延長したり廃止したり、働き手は一生現役を強いられるようになった。
生涯現役を好機と捉える50歳以上は少数。
そう筆者は考え、「強いられる」と表現させてもらった。
若手の頃は、年功序列型の成果報酬のもとで、キャリアを構築してきた皆さんだ。
今更、成果報酬型の賃金体系で、プロとして働き続けたい中高年は少数派だと思う。
年功序列の上位にようやく立てたのに、話が違うということだろう。

4つのキーワードで、平成を簡単に回顧してみた。
数多くの「まやかし」が平成にはあったと思う。
まやかしに惑わされず、筆者は筆者なりに平成の世を生き抜いてきた。
これから先の人生、いい歳をして「チクショー!」と嘆かぬように心掛けたい。
筆者なりの「真理の探究」は、新元号の世となっても続いていくのだ。

いつの時代でも、理想や正義を声高に語る人の後をついていくとろくなことはない。

 橘玲さんの『マネーロンダリング入門』のお終いの一行を引用させて頂き、今回は締めたい。

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人がいない道を、輝きを見つめながら、自分のペースで歩いていきたい。

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