正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

そんなに無理しなくてもそこそこ生活できる平成の世であった!

谷川的に平成を回顧する第3弾。
平成とは、詰まるところ、「そんなに無理しなくてもそこそこ生活できる世であった」、と思う。
但し、そこには一部注釈が必要だ。
「そこそこの生活」のレベルが、年々落ちていった平成の30年だったと。

前々回、「日本の社会は、安価な労働力を提供する集団を生むのが、とても上手だと思う」と書いた。
フリーターが非正規雇用になったように、甘く魅力的なキーワードにはご用心だ。
今ならフリーランスという言葉に危うさを感じる。
何気ない日常生活で技術の進歩を感じたら、それもご用心。
スマホ、タブレットPCが普及し、キーボードを打てない層が生まれた。
事務職ができないから、軽作業をするしかない。
給料や時給を、より安く買い叩かれるだけだ。

若く野心があれば、「そこそこの生活」から抜け出すことを必死で考えそうなものだ。
しかし、今の20代30代と接して、頭いいなと筆者は感じる。
「余計な無理をしない」ところが頭がいい。
凄く頑張ったところで、成果に大差ないことを理解している。
物心ついたころから不況だし、サラリーマン家庭なら親の賃下げやリストラをまじかに見てきた。
親は頑張って会社の為に働いているのに、その身にはろくなことが起こらない。
自己防衛的に、「そこそこの生活」 で満足できる術を身に着けているのだ。

筆者は長年、作業者と呼ばれる人達に接してきた。
彼ら彼女らの中には、「正社員」でない身分の人もいた。
正社員の身分で優越感を感じる人が年々増えていったのが、興味深かった。
一方で、筆者は、「正社員でない」身分の人達の将来を、筆者なりに心配し、正社員になれるように努めたこともあった。
そこで驚いたのは、「正社員になりたがらない」人達が一定数存在するということだ。
20代30代で、責任は持ちたくない、そこそこの生活で満足する人達がそれなりの数いることが、筆者には驚愕だった。
筆者が彼ら彼女らにしてあげようとした事は、文字通り、余計なお世話だった。

まあ、正社員になることを助けたのに、お礼の一言も言ってこない御仁も幾人かいる。
親からちゃんと教育受けていないのか、自分のことだけで精一杯なのか。
後は、自分の人生を頑張ってくれ。

映画『イージー・ライダー』に名言がある。
この映画を最初に観た時、筆者は19歳。
このジャック・ニコルソンの名台詞に、筆者は感銘を受けた。

Oh, yeah, they're gonna talk to you, and talk to you, and talk to you about individual freedom. But they see a free individual, it's gonna scare 'em.

人々は自由、自由というくせに、 自由な人間を見ることが怖いんだ。

「そこそこの生活」で満足するのは、人それぞれで大いに結構。
筆者は何も文句がない。
但し、その類の人間は、自由を恐れている人間が大多数だ。
見城徹さん仰せの、内に向かう3種の神器、すなわち自己検証、自己嫌悪、自己否定。
不自由な本当の自分を知るのが恐ろしいから、これが絶対できない。
そこそこから抜け出した自由な人間が憎くなる。
些細なことで、すぐに人を謝らせたい人達となる。
可哀そうなヒステリー集団だと思う。

それでも、そんなに無理しなくてもそこそこ生活できる世だ。
これから先も、新元号になっても、飼い慣らされて生きていくしかない。

 

自由を獲得する勇気のない人達に捧げたい名作だ。f:id:sehaooooo:20190317132230j:plain