「ファイリングの先には、一体何があるのだろうか?」
筆者の頭は疑問だらけであったが、怒られるのも嫌なので作業を続けた。
「この作業をするだけなら、アルバイトでいいのではないか?」
ふとこう思うこともあった。
いかん、いかん。
大切な事を忘れてはいかん。
いかんのだ。
単純作業に頭をやられた。
筆者は、正社員の身分が欲しくて就職活動をしてこの会社に入社したのだ。
20代半ばの人間がアルバイトの身分ではいかんのだ。
景気の調整弁の非正規雇用では、バブル崩壊直後のご時世、確実に下に下へと追いやられてしまう。
余計不自由になってしまうではないか。
正社員でいる我が身を大切にしよう。
今振り返れば、何ともレベルの低い自問自答ではあったが、当時の筆者は大真面目であった。
スキルも取り柄もない筆者には、正規雇用で働いていることが唯一の拠り所であった。
レーダーにすら捕捉されない低空飛行のレベルではあったが、当時の考えは間違ってはいなかったと思う。
低空飛行というより、綱渡りだったのかもしれない。
筆者が一番欲するところの「自由」は、非正規雇用では得ることが難しいと理解だけはしていたようだ。
人間は、自分が最後まで守りたいものを理解できていれば、判断を誤ることを防ぐことができる。
正社員という身分はとても有難い。
固定給が毎月自分の銀行口座に振り込まれる。
能力が足らなくとも、仕事をサボっていても、固定額のお給料を頂戴できる。
非正規雇用だと、働いた分しかお金は頂けない。
今年のゴールデンウィークは10連休。
非正規雇用者は収入減となり、大型連休が恨めしいに違いない。
これが格差だ。
今日現在まで、筆者は非正規の若者君と知り合うと、余計なお節介をしがちのようだ。
20代の頃、筆者は正社員の身分を守るのに必死だったことに原因があるようだ。
その甲斐あって、将来が開けたと考えている。
20代の筆者は、正社員という細い綱の上を、そろりそろりと落ちないようにゆっくり歩いていた。
「将来の為に正社員にならなければダメだ!」と、つい世話を焼いてしまう。
肝心の本人達が望んでない場合、単なるウザいおっさんになってしまう。
非正規の身分なら、正社員になることを当然のように渇望するだろう。
筆者のこの考えは、人によっては間違っている場合もあるようだ。
非正規のままでいい。
筆者には信じられないが、そう諦めて生きている人にも出会う。
その人の人生だから、その人の好きに生きればいい。
最近はそう考えるようになった。
格差の壁は確実に厚くなっているとも考える。
筆者は、単純で退屈なファイリング作業に黙々と励んだ。
「石の上にも3年」は本当なのか!?
3年は我慢しなければならないのか!?
そんなことも考えた。
96年当時、現在よりもこの格言は支持されていたと思う。
筆者と同期の新卒6人のうち、最後まで会社に残った女性はちょうど3年で退職した。
彼女は「石の上にも3年」を度々口にしていた。
今の時間軸ではどうだろうか。
3年我慢する価値がある環境かどうか、よくよく見極める必要がある。
時間はどんどん短くなり、待ってはくれない。
上映時間の長い映画ではなく、TikTok15秒の世界だ。
私の人生は綱の上にある。綱渡りをしていない時間は、待ち時間である。
軽業師のカール・ワレンダの名言。
今振り返れば、筆者にはファイリング作業も待ち時間ではなかった。
「今日から以前の業務に戻りなさい」と、課長に告げられた。
またも、ある朝突然だった。
約2ヵ月ぶりに復帰だ。
いやっほー。
筆者のファイリングもE課長に認められる程度には上達したようだ。
E課長に感謝だ。
「人手が足らないのよ。この忙しいのにあなたはファイル作業しかやらないし。」
”三面怪人ダダ別名般若面またの名を不死身の鬼美濃”E課長の憎まれ口は相変わらずだった。
感謝の気持ちはすぐに吹っ飛んだ。
でもまあいいか。
そんな喜びもつかの間の夏だった。
(つづく)
カール・ワレンダの名言は人生そのものだ。