正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

「終身雇用なんて」なら「会社ごときが」と言い切ればいい。

「正直言って経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っているんです。」
経団連・中西宏明会長の先日の発言は、勇者ヨシヒコのメレブの呪文的には「イマサーラ」ではあった。
少なくとも筆者には「今さら」であった。
平成の終わりの終身雇用を商品に例えるならば、ひなびた温泉街のお土産屋さんにある、「こんなもの誰が買うの?」的なお土産だ 。
それでも商品棚にくたびれて並んでいるということは、有難がって買う人がまだいる。
それが筆者の「終身雇用」の今時点のイメージだ。

70年代や80年代の高度成長期には、大企業を中心として終身雇用が確かに存在していたはずだ。
「貴方を終身雇用します」と、企業から明文化された契約書を、社員誰一人として手渡されたことはないが。
けれども例えば、「社員は家族」と経営者がひとたび発言すれば、その発言の背景やトーンがどんなものであれ、「終身雇用は確かに存在する」と社員が信じる拠り所になった。
社員に終身雇用の幻を見せることは、日本の経営者には非常に重要だったと思う。
「新入社員は会社にとっては扶養家族である。」
これは30年以上も前、江副浩正氏がリクルートの新入社員に贈った言葉だ。
江副氏のこの言葉は、桜の季節になると決まって取り上げられる。
年配方の古き良き時代の思い出というより、現役世代が惹きつけられているのには、筆者には少々驚きだ。
「扶養家族」とは失礼なもの言いであると筆者は感じるが、この年功序列的な考えは、今日でもすんなりと受け入れられているようだ。

バブル経済が崩壊し、90年半ば以降は「終身雇用は崩壊した」と事あるごとに繰り返されてきた。
それでも人々は、会社と終身雇用の秩序を頑なに信じてきたようだ。
終身雇用を続けるのはもう難しいのかもしれないが、終身雇用できるぐらい経営体力のある企業、もしくは終身雇用してくれるぐらい社員を大切にする企業に就職(転職)しよう。
平成の世が終わる今現在になっても、職を求める多くの人々に、終身雇用の幻想は纏わりついているようだ。
自由な働き方や、女性の活躍を終身雇用はさんざん邪魔してきたのに、それでも支持されているから不思議だ。
驚くことに、今でも20代の9割近くが終身雇用を支持しているという調査もある。
別の調査では、20~30歳代で終身雇用の支持率は、2007年以降年々上がっているという。
筆者の終身雇用のイメージ、ひなびた温泉街のくたびれたお土産とは全く違っているようだ。
今現在でも、若い世代にまで圧倒的に人気ではないか。
20年も前からその存在は失われたと指摘されているのにだ。
筆者には「こんなもの誰が買うの?」だが、人によっては希少価値のある商品なのだろう。

なぜこれほどまでに、今でも終身雇用は人々を惹き続けているのだろうか。
筆者のようなキャリアを積んできた人間には分かりようもない。
たまたま新卒で入社した1社目を気に入って、他の可能性を消してまでその会社に最後まで勤め上げたいと思えるのなら、それはとても幸運なことだと思う。
但し、ご承知のように、社員一人の一方的な片思いを会社は汲んではくれない。
「自分は長年それなりに貢献してきたのに」と、早期退職の憂き目に遭った中高年は嘆く。
会社は「長年のそれなりの貢献」に忖度はしてくれない。
当たり前だが、会社に人格があるわけではない。
誰かがリストラや早期退職制度を決めているのだ。

「終身雇用なんて」と、中西会長が経営者の本音を代表して発言してくれた。
こんどは社員の番だ。
「会社ごときが」と言い切れる時、その社員は終身雇用の幻想から初めて解放されるのであろう。

Was blind but now I see.

 盲目であった人は、今は見えるようになったのだ。

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