1997年2月中旬、無職の筆者は再就職を目指して面接に挑んだ。
面接の冒頭、1名の募集に対して100人超の応募があったと知らされた。
なんと、なんと、なんとだ!
名刺ほどの大きさしかない求人広告なのに。
失礼ながら無名の外資企業の募集なのに。
外資系への就職が持て囃されるのは、もうちょっと先だった。
売り物からして華やかな業界ではなかったし、営業管理という職種も地味だ。
舐めていたわけではないが、本当にびっくりした。
競争率といえば、先日の公務員採用試験にも驚いた。
「安定欲しい」545倍の超狭き門 就職氷河期世代の採用試験 宝塚市
毎日新聞 2019年9月22日
後に大学や高校を卒業した「就職氷河期世代」を対象にした兵庫県宝塚市の正規職員採用の1次試験があり、採用枠3人程度に対し受験者は1635人(倍率545倍)に上った。
この世代は今も非正規など不安定な立場にあるとされ、自治体による正規雇用は、難関にもかかわらず、大きな関心を集めていることを改めて浮き彫りにした。
受験した人達は真面目に頑張っているのだろうけれども、狭き門にどこまでも挑むのがこの就職氷河期世代なのだろうか。
安定志向と横並び意識は、競争相手を増やしているだけのように思えてしまう。
この世は諸行無常。
安定を求めると、安定は逃げていく。
そこに横並び意識が加わると、行きつく先は大勢の不安定な人間の溜まり場だ。
また、横並び意識は、失敗した時に独りでないと安心を買う為のものではない。
「狭き門より入れ」は強い者への美しい格言だが、弱者はまずは門をくぐることを考えなければいけない。
門前で座して死を待つわけにはいかないのだ。
多くの競争相手を押しのけての狭き門から入るより、人が通らない門から入るのが就職氷河期ハシリ世代の筆者の戦い方だ。
弱者の戦い方とはそういうものだと思う。
さて、溝田社長と営業課長の新谷さんとの面接は、新谷さんのリードで進んだ。
競争率100倍超と面接冒頭でビビったが、失うものはないと開き直った。
まず、新谷さんが会社紹介と募集の背景を説明された。
本社工場はアメリカ東海岸のボストン郊外にあること。
圧力計と呼ばれる工業用の計測機器を本社工場から輸入し、国内に販売していること。
社員は全世界で500名ほどで、売上高は400億円ぐらい。
日本法人は設立して6年目、正社員5名とアルバイト1名で営業していること。
そのうちの営業管理の女性が退職し、欠員となったのが今回の募集の背景だった。
とても分かりやすい説明で、ありがたかった。
入社後知ったのだが、日本法人の売り上げは4億円弱だった。
グローバルを含めても非常にこじんまりとした会社だったが、まさかこの後に全世界で従業員6万人の会社の一員となるとは夢にも思わなかった。
続いて、筆者が「自分が何者であるか」を説明する番となった。
自分の経歴を学生時代から遡って順に説明した。
話の途中に新谷さんが質問をする形式だったが、そつなくこなせたと思う。
1社目を1年8ヶ月の「比較的短期間で」退職した理由の質問も、無難に受け答えができた。
志望動機も転職マニュアルを参考にした「つまらない」ものであったが、一応納得はしてもらえたようだ。
薄い経歴なので、履歴書と職務経歴書は事前に丸暗記をし、齟齬なく面接で説明するように努めた。
後に筆者も面接をする側の立場となるのだが、候補者は自分の経歴ぐらいは淀みなく説明して欲しいと思う。
つっかえつっかえでは、経歴に嘘があるのではないかと疑ってしまう。
「提出した書類にてご確認下さい」と面接の場で逃げることはできないので、しっかり準備をしておきたい。
面接の冒頭から、無言のまま鋭い眼光を投げかけていた溝田社長が気になっていた。
社長が無言のまま、やや雑談のような後半になった頃、「近くご結婚される予定はありますか?」と新谷さんから質問された。
あまり高い給料は払えないのだなと感じながら、「いいえ」と答えた。
仕事と関係ないプライベートな質問があるとは考えなかったが、ともかく職を得ることが最優先だったので、不快にも感じなかった。
その時、溝田社長が突然口を開いた。
「貴方は健康ですか!?」
やや面を喰らったが「健康です」と笑顔で答えた。
こんどは矢継ぎ早に「ご両親は健康ですか!?」と返してきた。
ん!?と再度面喰いながら、「ともに健康です」と再び笑顔で答えた。
暫くよく分からない沈黙があったが、再び質疑応答が進んでいった。
また突然、溝田社長が声を発した。
「貴方は健康ですか!?」
?????と筆者の頭は混乱した。
やや怪訝となり、「先ほど健康と言いましたよね...」と返答した。
溝田社長は笑顔だったが、隣の新谷さんは恥ずかしそうに下を向いていた。
(つづく)