正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

勝ちも負けもない世界で生きていく

ラグビーワールドカップの熱狂は、遥か遠い昔になってしまった。
筆者はルールを完全に理解しているわけではなかったが、日本代表のゲームはテレビの前で観戦していた。

それにしても、スポーツ観戦とはとても気楽なものだと実感させられた。
理由は簡単で、試合の勝敗が自分の人生には何も影響を与えないからだ。
贔屓のチームや選手が勝ったところで、観戦している人間の生活が翌日から劇的に変わることはない。
チームの勝利が嬉しいとか、選手に尊敬の念を抱くとか、ファンであるなら一時の幸せな気分をおすそ分けしてもらえるけれども。
語り継がれる勝利は、飲み屋や職場で繰り返しいい話のネタになるだろう。
但し、それは自分の人生のストーリーの一部にはなり得ないのだけれども。

ゲームの勝敗に人生を賭けて懸命に努力をしている当事者以外、熱烈なファンであっても全員部外者だ。
「勝利や選手に勇気をもらった」云々言ったところで、その人が与えられた勇気を持って何事かに取り組まない限り、その人の人生は結局は何も起こらない。
圧倒的当事者意識を持った人物は、スポーツ観戦には興味がないと思う。
ところで、同じスポーツ観戦でも、その勝負に金を賭けている人には少しは当事者意識を感じることができる。
学生の頃、馬券が外れて馬ではなくジョッキーに向かって罵倒しているおじ様達を見るにつけ、そのような感情を抱いたものだった。
日本語の通じない馬にではなく、言葉が通じる騎手に向かって文句を言うのは、当事者意識の証だと考えた。

細部にまで合意されたルールの中で、勝者と敗者を決定する美しくも残酷な世界とは違い、勝ちも負けもない生活の日々を送る者の一人としては、人生が楽しいことが重要だ。
娯楽としてのスポーツ観戦は日常を楽しくしてくれるのだろうけれども、自分の人生を観戦するだけではとてもつまらないだろうし、つまらない人物になってしまうだけだ。
仕事も同じで、観戦するだけの人物は対案や代替案を用意はしていないから、やはり一緒に仕事をしていてもつまらない。
つまらない仕事人生なのかもしれないが、楽には生きていけるだろう。
但し、楽しくはなく楽なだけで、楽に生きたいがために社畜人生を選んでいる人もそれなりにお見受けする。
また、自分の人生を観戦している人は、他人の人生も同じように観戦したいようで、平日昼間にテレビの地上波にチャンネルを合わせれば、そのような人達向けの番組はいくらでも放送している。
小室圭さんのような人は都合のいい標的なのだろう。

永遠に終わることがない同じ日常を繰り返している気分になっているのなら、自分の人生を観戦することを止めればいい。
それはとても簡単なことで、自分の決めたルールの中で自分の試合を始めればいいだけだ。
そこは勝ちも負けもない世界であるけれど、自分で決めたルールの世界を広げていくことは、自分の人生を自分で支配していくので気持ちがいいものだ。
その時々の「カリスマ」とか「インフルエンサー」に安易に感化されて、渇き始めた小さな水溜まりを右往左往するアメンボのようになることもない。

ある朝、閉まる電車のドアに向かって身をよじりながら眼鏡を飛ばして乗り込もうとした御方を目の前で目撃した。
その御方の日常のスリルは無理な乗車の瞬間に訪れるのだろうか。
それとも『旗本は是なり。是れへ懸かれ』と、お館様からの天の声でも聞こえたのだろうか。
出来損ないのロールパンのように身をよじる訳は、他人との勝ち負けの為か、自分で決めたルールなのか。
筆者が知る由もないが、まあいいか。f:id:sehaooooo:20191019113046j:plain