富士山も白くなり、夜中過ぎると星空を見上げ、オリオン座の位置を確かめたくなる。
都心の星空は郊外よりも寂しいものだけれども、冬の星座が高く昇ると、それでも賑やかな凛とした気持ちにしてくれる。
そして朝陽が差せば、我が眼はPCとスマホに独占されていく。
賑やかではあるが消耗や消費の疲労感を漂わせてくれるTwitterに目配りすれば、この世の中は働きたくない人達で溢れていると確信してしまう。
Twitterを始めて1年3ヶ月、楽してお金を稼げるようなtweetやプロフィールが星の数ほどもある。
妖しい星の輝きに魅せられてしまう人も、それなりの数いるのだろう。
『あると思うなうまい話。ないと思え自分には。』
使い古された昭和の標語チックな注意喚起ぐらいでは、全く無駄なのだろうか。
げにげにしく所々うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合はせて語る虚言そらごとは、恐しき事なり。
(徒然草 第七十三段)
兼好法師がご指摘のように、騙す人間のほうが一枚上手なようだ。
楽して儲けたい人には、筆者は「身の丈に合わせて頑張って」とだけ申しておく。
副業といえども、片手間にできるものではない。
副業はハーフコミットなどと上手く言ったものではあるが、本業同然のフルコミットをしなければ、次の発注や契約更新はおぼつかないだろう。
「身の丈」といえば、生田光一文部科学相の発言が問題視されているが、日常会話でも「身の丈」は、使いどころによっては微妙になるようだ。
差別的なニュアンスを感じる人もいるのだろう。
「釣り合う、釣り合わない」も同じようなものか。
それでも実社会では、例えば会社はその会社レベルの身の丈の人しか残らないし、身の丈の人達で寄り集まれば居心地のいい会社となるだろう。
そもそも自分の「身の程」を知り、「身の丈」を伸ばそうと日々努力している人は、身の丈云々と他人に言われたところで、たいして頭に来ることはないだろう。
身の丈を伸ばそうと努力をしない人物には、傷のなめ合いを中断させられて、耳障りなのかもしれないが。
筆者は楽して儲ける方法を知らないのだけれども、楽して儲けるのにも才能と努力とお金は必要だと思う。
それ故に、「身の丈に合わせて頑張って」と申し上げるしかない。
筆者としては、楽して儲けたい人よりも、働きたくないと口にする人を手放しで歓迎したい。
働きたくないのなら、働かなくていいのではないか。
どうぞ、どうぞ、是非とも働かないで下さい。
働くことが好きな筆者には、働きたくない人が一人でも増えることは、単純に競合が減るのでウェルカムだ。
そういえば、旧司法試験に合格して弁護士になられた人物が、「当時の司法試験は超難関のイメージが定着していたので、自分より頭のいい人でも挑戦しなかった。そのお陰で、自分は合格できた」と語っていたのが印象的だった。
その弁護士と同じような感覚だ。
筆者にとって働くことは人生最高の暇つぶしだ。
しかも同時に自分の自由を獲得する作業となっている。
働くこと以上に良い事はないと考えている。
働きたくないと公言はしてなくとも、歳を重ねるにつれ成長を止める人が多くなるので、これも筆者にはありがたい。
人間40歳を超えると、その場に立ち止まる人が多いことに気がつく。
自分の歩みさえ止めなければ、今まで追いつけなかった人を簡単に追い越すことができる。
その場に立ち止まっている人は、何も起こらない、何も変わらない無限地獄に陥っているようにお見受けする。
ご機嫌斜めな人が多いと感じるのは、筆者の気のせいなのだろうか。
先日、渋谷のFOREVER21の前を通ったら、閉店セールの最中だった。
例えば40歳で先が見えた仕事人生を送るということは、定年を迎える65歳までずっと閉店セールをやるようなものだ。
肝心の売り物となる商品は、残念ながら20年も先まで在庫はないだろう。