正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

【2社目】回転テーブルに仕事という御馳走をぐるぐる何度でも廻してくれ!

入社初日は月曜日で、その週の金曜日の夜に歓迎会があった。
場所は前年96年秋にオープンした新宿高島屋の14階にある中華料理屋で、社長が予算を奮発してくれた様子だった。
オフィスから会場まで皆で歩いて行った記憶がある。
筆者の歓迎会というより、皆で好き勝手にやっていたので、歓迎される身としてはとても気が楽だった。

夜景の見える半個室に通され、円卓の回転テーブルを囲って着席した。
ヒカゲさんは「オレ、北京ダック食うの初めて!」と大喜び。
笹山さんが、「食うなんて言葉遣いは下品よ。食べると言いなさい」と注意をした。
新谷さんは、4月から消費税が3%から5%となり、家計に影響することを懸念していた。
家の財布の紐はご本人が握っており、「俺って、野菜の値段が分かる男なんだよね」とケラケラ笑っていた。
溝田社長は、「この壊滅的な日本経済を救えるのは織田信長のような人物しかいないな」と、誰に向かって話しているのか分からない状態だった。
ヨコ太さんは口をモグモグ動かし、料理が残った皿を平らげる役に徹してした。

入社一週間経ったが、特に研修の日程がきっちり決められていることもなく、漫然と時間だけが過ぎていくような気がして、拍子抜けどころが焦りを感じた。
ほっとしたのは、小さな所帯で皆さん悪い人ではないと確認できたことだった。
毎日楽しく過ごすには、毎日関係する職場の人間関係は大切で、しかも筆者を含めて総勢7名の所帯なら、人間関係が悪くなったら逃げ場がない。
新卒1社目で”三面怪人ダダ別名般若面またの名を不死身の鬼美濃”E課長の理不尽ともいえる虐めに耐えていた身だったので、その点は安心することができた。

また、大歓迎ではなかったけれども、筆者は適度に歓迎されているなと感じることができた。
転職先で自分が歓迎されているかを確認することは、実は入社直後にはとても重要なのだ。
この時は初めての転職で全く分からなかった。
筆者の転職人生において、あからさまに入社を歓迎していない職場への転職を、複数回この先経験することになる。
社内事情と求人募集の背景によっては、社内の現状維持派にとって「歓迎されない転職者」になることもあるのだと経験した後に知った。
入社初日に顔を合わせただけで、敵視され睨まれたことも経験した。
筆者の30代後半以降の転職は、勝手に歓迎されていない転職者となっている場合があった。

週末になり、西の空にあるヘール・ポップ彗星を眺めて感動したが、月曜に始まる2週目の職場に思いを巡らせていた。
週末は楽しいけれど、早く月曜日にならないのかとヤキモキした。
焦る気持ちを抑えるのが難しかった。
その一方で、職にありつく事ができたので、このような思いができるのだなと再就職できたことに感謝した。

筆者は2社目以降、早く月曜日にならないかなと思う週末のほうが多い。
仕事の憂鬱は仕事で返すしかないと考えているからだ。
週末に遊んでも心が晴れないのは、そのような思考のせいなのだろう。
夕方退社をすると仕事の事は忘れてしまうという人がいるが、筆者には信じられないのだ。
筆者にはワーク・ライフ・バランスというバランスが欠如していると自覚している。

入社2週目から1社目と同じように、始業時間の1時間以上前に出社することにした。
笹山さんからエレベーターと入り口の鍵をもらい、誰よりも早く毎日出社した。
笹山さんは筆者の行動に驚いて、「うちは手当はなにも出ないのよ」と小声で教えてくれた。
そんなことはどうでもよかった。
歓迎会の時の回転テーブルのように、仕事がてんこ盛りに回ってくることを期待していた。
ところで、永田町の回転寿司は2度は廻らないらしい。
政治の世界は、チャンスが2度も巡ってこないことを意味しているそうだ。
筆者の2社目の回転テーブルは、何度でも料理をてんこ盛りに乗せて廻って欲しかった。
簡単に辞めることができない身分としては、「おかわり」が何度もできる環境であることを望んでいた。
(つづく)

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