正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

成れの果ての夏

某企業を退職してから3年経った夏のある日、上司だったYさんからメールが届いた。
お互い退職後、年数回メールのやり取りをする仲だったので、親しい関係を続けていたわけではなかった。
筆者がその企業を退職した2ヶ月後にはYさんも退職していた。
Yさんの在籍期間は1年と短かった。
YさんはNo.2のポジションにあったが、社長との社内政治合戦に敗れての退職だった。
その後、45歳で独立されて一人で経営コンサルタントのようなことをやっていた。
筆者と知り合う前の30代から40代前半の経歴は、若くして出世した人物のように見えた。
外資系企業数社を渡り歩き、海外駐在や日本法人の社長なども歴任されたことがあった。
筆者と知り合った時は、山にあるリゾート地から都内のオフィスに新幹線通勤をしていた。
筆者は1年弱の短い期間Yさんの部下であったが、40歳を回ってからのキャリアの失速感に焦りを感じていたのが身近でよく分かった。
ご本人に上昇志向が高く、30代で数度の転職レバレッジを効かせて高いポジションを得たが、その後は思うようにいかず、キャリアの手詰まり感を何とか打破したいと考えている40代の代表のような人物だった。
肝心の仕事の能力となると、筆者からはよく見えなかった。
ただ、社内政治は好きで、ご自身で社内政治は得意との趣旨の発言は度々していた。
社内人事に首尾よく介入できた時は、私にしかできない事と満足そうだった。
筆者が退職をするときは、Yさんは社長との権力闘争の真っただ中であった。
筆者の退職が決まると、Yさんと筆者は送別会を兼ねて2人でディナーに行ったが、その場は不思議なものとなった。
蒸し暑い夏の夕刻だった。
Yさんは社長との闘いで頭がいっぱいだった。
「まあ見ていてください。社長に一泡吹かせますから」と鼻息は荒かった。
その計画をちょっと教えてくれたが、社長に対する荒唐無稽な作り話を社内に流布しようというものだった。
最終出社日まであと2週間ほどの筆者に、「邪魔しないでね」「邪魔しないでね」と食事中何度も念を押した。
筆者はアホらしくなり、退職する身に感謝をした。
そして、Yさん貴方の計画は必ず失敗しますよと心の中で呟いた。
全くもって筆者の前途の祝福もない、冴えない送別会だった。
筆者が退職して2ヶ月後、Yさんが退職したと知り合いからメールをもらった。
Yさんに連絡を取ったところ、「もうご存知なのですね」とバツが悪そうだった。
お会いして話を聞いたら、要は稚拙な計画を実行したが、見事に社長から返り討ちに遭ったというだけのことだった。
ご自分の事は美化し尽くしていた。
Yさんは社長への恨みをたっぷりと引きずっていた。
退職後一人でコンサルタントを始めたが、うまくいっていなかった。
山のリゾート地暮らしも止めてしまった。
Yさんと一緒に働いた企業を退職してから3年経ったある日、Yさんからメールを貰った。
「谷川君、社長のパワハラが社内で問題になっているようなので、ちょっと力を貸してくれないだろうか」と、目を疑うような内容だった。
Yさんを追い出した社長は、まだ社長の地位にあった。
筆者は辞めた会社のことなど何の興味もないし、未来を見ていたい。
しかも、筆者もYさんも退職して3年も経った部外者だ。
しかし、落ちぶれていたYさんには、社長は憎んでも憎み切れない人物だった。
「勘弁してください。もう連絡は不要です」と、筆者は返信した。
Yさんは、自分は頭がいいと過信し、策士策に溺れたような人物であったのだろうか。
筆者の見立ては、Yさんはキャリアを通して真剣に仕事に向き合あったことがなく、成れの果てとなった人に思えた。
彼にとって仕事はいつもどこか退屈なものだったのだろう。
50歳を超えたYさんは今どうしているのだろうか。
人生のカッコはついているのだろうか。
Yさんが働いていた街に夏の空が広がると、仕事に集中と自分に言い聞かせている。

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