テレワークを推進すると社員はサボるかもしれない。
そのようなご懸念を抱く経営者や上司の話はチラホラ聞く。
筆者も直接そのような話を聞いたことがある。
ウィリアム・シェイクスピア曰く『王冠を戴くものは安心して眠れない』のだろうか。
そうではなく、本人たちが過去に勤務時間中にサボる工夫を実践してきた人たちだから、余計な疑いを持つのだろう。
携帯電話がなかった昔は今よりもずっとサボり放題だった。
筆者は学生の頃、平日昼開催の大井競馬場にスーツ姿でたむろしているサラリーマンは最強だと考えていた。
筆者はどちらかというと出社派の人間だが、昨年春過ぎの最初の緊急事態宣言のころ、取引先の日系企業数社の時代遅れ感には閉口させられた。
例えば、売り上げ400億円規模の企業であっても、営業以外は会社からスマホ携帯電話やWi-Fiが付与されておらず、Web会議も使っていないので、バックオフィスの人物と直接話をするにはその人物が会社に出勤している日にお願いしますと言われたことがあった。
絶望的な気分になったことを今でもよく覚えている。
社員の頑張らせ方をいろいろと間違っている企業はある。
筆者は部下たちと直接オフィスで会うのはせいぜい月1回か2回が精いっぱいだが、何の不便も感じていない。
昨春のコロナ禍の始まりは、今までどれだけ社員や部下を信じてきたのかが試されてきた。
平時には在宅勤務に眉をひそめていたのに、コロナ感染に必要以上にビビッて部下のことは忘れて自宅に引きこもってしまった上司など、そのような笑い話は今ではいくらでもある。
コロナ禍対策やテレワークといった働き方も、人や企業を含む社会全体に新しい物差しを強制しているのだが、古い物差しを持ち出して正論を繰り返し、批判ばかりしている人もいる。
人類の歴史上、疫病は不平等の縮小に一役買ってきたのだけれども、是正より予防に重点のコロナ禍の場合はどうだろうか?
『感染対策は、人との距離を置くためではなく、信じあうためにある』
(株)モレーンコーポレーション草場恒樹社長の素敵な言葉を最後に記しておく。
コンスタンティン・ブランクーシ 接吻 アーティゾン美術館蔵