(①からの続き)
矢ガモ社長は企業カルチャーを利用したが、著名な篤志家でもあった創業者の精神を受け入れなければならず、ずっと憧れ妄想していた華麗な社長のライフスタイルがままならないとストレスを感じた。
そこで、例えば、社長にふさわしい高めのレクサスを購入し、Facebookへの投稿や社内の飲みの席で自慢をし、精神のバランスを取るように努めていた。
また、海外本社や支社からの出張者には過剰な社内接待を熱心に行った。
“私はエクゼクティブ”感を恥ずかしげもなく露出した。
もともと不器用な性格で、若いころに遊ばなかったので、40代半ばを過ぎての“デビュー”に浮足立っていた。
「会社の金で好き放題に飲み食いしやがって。」
「あのレクサスは目障り。」
このレベル感の経営者のあるあるなのだが、不用意なSNSへの投稿や自慢と誤解される発言で、社員の一部から余計な顰蹙を買った。
また、矢ガモ社長はPR会社を使ってのメディアへの露出も積極的だった。
それは、日本市場のトップとして、営業活動に一役買おうとしたものではなかった。
定年延長や働き方改革、女性の活躍の時事ネタを使った社長の“おままごと”だった。
それら“おままごと道具”は社員を大切にする企業カルチャーにマッチをし、社長としての自己顕示欲が満たすことができた。
矢ガモ社長は自分の地位には非常に熱心ではあるが、事業や社員には関心が薄かった。
例えば、東日本大震災後の非常事態では、社長自ら先陣を切って全社内の陣頭指揮を取るような場面はなかった。
“どう対処していいのか分からない”というのが本音のようだった。
ただ、社長の身分の自分がどう扱われているのかにはひどく神経を尖らせた。
このため、困難な状況で事業継続に尽力した社員を十分に評価することができないばかりか、海外本社や支社に状況発信をする社員をあからさまに警戒した。
この非常事態の日本をコントロールしているのは矢ガモであると、海外に広く知らしめることに多くの時間を費やした。
そこには顧客も社員も不在だった。
■ 矢ガモ社長の出世術:自分の小さな成果を強調する。
素顔の自分とはかけ離れた人物像を求められ矢ガモ社長は苦しんだ。
「演じなければいけない」と自分にいい聞かせるように呟いていたが、一時の苛立ちから「私はエリートだ!」と、赤面してしまうようなことを突然口走ったこともあった。
「生まれ育ちは悪くないと思うのだが、コンプレックスの塊で器が小さすぎる」と、社内から不安の声が漏れた。
ある日のこと、矢ガモ社長は営業部門に自分の力を及ぼしたいと朝の営業会議を主催した。
しかし、「テルモピュライの戦いで、僅か300人のスパルタ軍は20万人のペルシア軍を相手に勇敢に戦った。大手に負けないように我々も歴史から学びましょう」と、トンチンカンな発言をしてしまい、惨めな結果となった。
また、矢ガモ社長は、会議での社員の発言を記憶し、別の会議でそれを自分の意見として丸ごと流用してしまうことがしばしばあった。
「他業界出身とはいえ、本当に何にも知らないのだな」と、ベテランからは呆れられた。
業界用語の使い方がおかしいと社内からヒソヒソ話も聞こえてきた。
そこで矢ガモが取った戦略は、よく分からない分野は分からないままにしておくことだった。
トップの自分が分かる必要もない些細なことをやっていると決めつけ、たいした仕事ではないと本人や周囲に吹聴した。
矢ガモ社長にあるのは会計の専門知識だけだったので、自分が分からないことを理解しているマネージャーたちを心底恐れていたからだ。
「難しくない仕事ばかりをしていて、上を目指すチャンスなど巡ってきますかね?」と、マネージャー本人に面と向かって嫌味を言うこともあった。
■ 矢ガモ社長の出世術:自分の知らない分野はたいした仕事ではないと周りに吹聴する。
(③につづく)
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