なんとかファミリーと奮って、実際の家族のような絆で結ばれていると謳う集団をちょくちょく耳にはするものです。
このような“疑似家族”を標榜する企業カルチャーはそれなりの数ありそうです。
入社した企業の文化に“合う合わない”は誰もが一度は口にするものですが、とりわけ疑似家族的な企業カルチャーは、ハズレてしまうと酷い経験をする人もいます。
なんとか軍団より始末が悪いのは、なんとかファミリーの企業文化なのかもしれません。
そこには理想の家族像みたいなものが赤の他人に作られて、そこから一寸でも外れてしまうと、磯野波平さんばりに「バッカモーン!」と怒られてしまうのです。
家族ではなく組織なので「バッカモーン!」の社内大合唱となってしまいます。
それはよくある“出る杭は打たれる”ようなものではなく、出る杭になってしまうような人物は異端や異常とみなされ、疑似家族からのありがた迷惑な人格の矯正をされ、それでも直らないと、人格攻撃までされてしまう始末で、最後には村八分となるのがオチなのです。
「あの人は会社の為を思って良くしようと頑張っている」と前置きされながら、結局はファミリーに相応しくない人物と潰されてしまうようなことが平気で起こってしまいます。
疑似家族的な企業の中を覗いてみると、家族が互いに認め合うアットホームな雰囲気とはいかないようです。
それどころか、社員を“貧しく”使うのに都合がいいキャッチフレーズに“家族”が使われているのではないかと筆者は疑っています。
その貧しさとは、つまり給料が安い貧しさと、排他的な精神の貧しさの二面があり、経営者にとっては、安い給料で自分に都合よく使える社員はありがたいのです。
「今は会社の経営が苦しいけれども、家族なのだから皆で我慢しよう」と経営者は言っておけばいいのです。
所詮は企業なわけなので、「チクショー!会社に裏切られた!」と、後の祭りを嘆く人たちが後を絶ちません。
一家団らん的な平等を望む屈折した願いは、高度成長期からバブルにかけての一億総中流意識の中にもあったのでしょう。
“上級国民”“親ガチャ”という四文字が目立ち、どうやら日本も階級社会だと今さらながら気がついた人たちは、それでも家族的なその平等への執着が強いのか、理想の家族像である一族に加わろうとしている小室圭さんに対して集団ヒステリーを起こしているようです。
日刊ゲンダイDIGITAL 公開日:2021/10/03 06:00 に、その人たちの心理が書かれていました。
「平民」から、ある意味「勝ち組の上流国民」になろうとしている小室さんをいじめて引きずり降ろしたいのである。
小室圭さんと眞子さまは“四面楚歌”打破し結婚を貫徹 それを祝福せず批判する世論の異常|日刊ゲンダイDIGITAL
日本もいよいよ本格的な格差社会の始まりのようです。
この令和の世に、“欲しがりません勝つまでは”の家族会議がまもなく招集されてしまうのでしょうか?