仕事選びは好きなことより得意なことを選んだほうが断然良いと思っている派だ。
その理由の一つとして、好きなことを仕事にしたはずなのにいつの間にか不機嫌になってしまう人がそれなりにいて、その人たちの中にはタチが悪いぐらいのレベルの不機嫌になっているのを見ているからだ。
何故にタチが悪くなるくらい不機嫌になったのかと考えるに、可愛さ余って憎さ百倍とは正にこのことだと思う。
どうしてそうなったのか今回は考えてみたい。
1)好きなことの給料の相場が安かった
これはホント致命的なことだと思うけれども、好きなことでもその業界や職種の給料が安くて不機嫌な人に変身してしまう人が意外と多い。
好きなことをやっているからそれに集中とはいかないのが人間なのだ。
好きなことを職業に選んだので喰っていけるだけ幸せと自分を一生懸命納得させてはみたところで、隣人の財布の厚さばかり気になってしまう人は確実に不機嫌な人になる。
その一方で年収が高い人は、「オレってこの仕事じゃなくて、本当はもっと人の役に立てる仕事がしたかったんだよね。子供のころさ~憧れていたことがあってさ~」とか、「昔は蕎麦打ちとか憧れていたのになあ」とボヤキを言い出す余裕がある始末なのだ。
2)好きなことなのに重労働
好きなことでお金を払うのは気持ちがいいけれども、好きなことでお金をもらうのは重労働で苦しかったりもする。
趣味が高じてこの仕事をしています的な人がこうなってしまうのだろう。
好きなことを純粋に楽しむならば、客としてガンガン金を払うほうが気楽なので、仕事と趣味をきっちり分けて、ガンガン稼げる仕事を選んだ方がいいのだろう。
3)好きなことなのだけれど飽きてしまった
嫌いなことなら飽きる前に見切りをつけて別の道に進めるのだろうけど、なまじ好きなことならズルズル続けてしまって、しまいには飽きてしまうパターンの人もいる。
好きなことに奥行きがない場合、飽きるのも早いし、たいしたスキルも身につかないので中年になってから苦労するものだ。
4)好きだったはずなのに実は好きではなかった
好きなことより始末が悪いのが、漠然と好きでその場所を選んでしまったパターンだ。
「この業界の雰囲気が好きだった」、「ベンチャーに憧れていた」、「社会貢献できると思った」みたいな漠然とした動機だと、後になって好きでもない仕事をやっていることに気がつき、結局は不機嫌になってしまっている人がいる。
好きといっても自分の心の底から湧き上がってくるものでないとダメだなと思う。
このパターンにハマった人たちの中には、好きでもないところで真面目に修業をしてしまい、それが報われないと「世の中そんなに甘くない」的なことを偉そうに言い出すが、自分の周りの人や環境のせいにしてしまっている証拠でもあるのだ。
考える前に行動しろと他人は言うけれども、その選択する前に真剣に考えたほうがいいことは好きか嫌いかとものすごく単純なことだったりするのだ。
日本最初の憲法ともいわれる十七条憲法。しかし、その内容は近代憲法とはちょっと異なります。第1条「和を以て貴しと為す」は有名ですが、第8条には「早く出仕し、早く退出せよ」、第14条には「恨みや妬みは捨てろ」と書かれています!
これはサントリー美術館の聖徳太子展に行って知ったことなのだが、超有名な第1条よりも第8条と第14条のほうが世の中に広く知れ渡って欲しかったと思った。
そして、聖徳太子にもう1条付け加えて「心から好きな仕事を選べ」と18条目に書いてもらいたかった。
「早く出仕し、早く退出せよ」、「恨みや妬みは捨てろ」、そして「心から好きな仕事を選べ」ば、人は不機嫌にならずに幸せに働けると思うのだ。