部下のマネジメントに関する出版物は星の数ほどもあるし、TwitterやLinkedInにも砂粒の数ほども呟かれ、書き込まれている。
部下をたいしてマネジメントした経験がない人でも、気軽に持論を展開できるところがソーシャルのいいところなのだろうけれど。
マネジメントの手法は人それぞれで、自分のやり方を見つければいいと思う。
筆者は2つのことだけは分かっている。
1つは部下によってマネジメントのやり方を変えること。
「そんなことは当たり前じゃん!?」と笑いだして小馬鹿にする人まで実際に目撃したことがあるが、何ごともいざ実践するとなると難しいものだ。
筆者がマネジメントを任される理由の一つは、ハイスペック人材とローキャリア人材の両方を同時にマネジメントができるからだと考えている。
“仕事を通して成長したい、仕事を通して学びたい”と欲する人は少数派とまずは理解していたほうが、上司としてはマネジメント手法の幅は広がる。
“どちらかといえば楽してお金がもらえて、そこそこの生活ができればいい”と考える人のほうがこの世の中は多いのだ。
10年以上前の筆者は、どんな人でも成長したいし学びたいものだと考えていたが、そのような青臭さい思いはどこかに吹き飛んでしまった。
エリート然を気取っていた上司である社長から「谷川さんはブルーカラーの世話をして下さい」と上から目線で偉そうに言われ、カチンと頭にきたので部下たちであるいわゆる作業者に成長意欲や学習意欲を植え付けようとしたが、結局のところ徒労に終わった。
「繁忙期にみんな頑張っているから、今日のお昼は会社の金を使って出前ピザを頼んでいいよ」と認めてあげれば、そのほうが断然眼が輝いてくれた。
出前のメニューを眺めてどのピザを頼もうかと勤務時間を平然と費やして、皆で真剣に悩んでいた光景からは大いに学んだ。
仕事で成長したくも学びたくもない人材に働いてもらうには、その人によってマネジメントのやり方を変えていくしかない。
なだめすかして機嫌を取って働いてくれるのなら、たいして労力もかからないのでありがたい。
部下からは、“ただの馬鹿上司”と思われたほうがいい成果を生むこともある。
役を演じるとかではなく、相手を気持ちよくして無理やりにでも働いてもらうために、場面場面でみずから馬鹿になればいい。
部下に成長した自分の将来像を見せれば動いてくれるなどの高邁なマネジメント手法は、ハイスペック人材に限られる。
やりがいなど欲しくなく、労働に見合った給料を寄こせと仰せの多くのローキャリア人材を働かせることができるようになるには、人によってマネジメントを変えることができる引き出しを多く持っておくことだ。
もう1つは、上司はサボってはいけないということ。
優秀な部下を持って、楽したいと考える上司はこれまた多い。
自分が楽したければ部下を一生懸命育てなくてはいけないのだが、楽したい上司はただ楽をしたいだけの場合が多いので、結局は部下を育てることができない。
部下を育てることもできない、サボっている上司のチームはコケる。
管理職の立場に気持ちよくなってないで、部下より働かなければいけない。
逆に上司は部下に管理どころか監視されていることを理解しておきたい。
気がつけば当たり前の2つのことなのだが、我ながら理解するまでにずいぶんと時間を費やしてしまったものだ。