10年ぐらい前に出版された『出世の教科書』という本に、「出世はいいものだ」と書かれていたが、出世欲が強い人が出世をすれば、そりゃいいもんでしょということになる。
「出世はいいものだと」と当人が大満足したところで、その人の出世に周りが大迷惑なら、なんだか寂しい人物の悲哀でエンディングを迎えてしまいそうだ。
「出世はいいものだ」と自分で口にしてはきっとダメで、周囲に「あの人の出世はいいものだ」と言われなければいけないのだろう。
この手のたぐいの筋金入りの出世推奨本は、ハナから出世をしたくない人などこの世には存在しないという価値観が満開なので、出世に価値を見出していない人の生き方など、当然分かりようもない。
「出世したくない人っているんだ」ぐらいに心に留めておいて、あとは無関心となり、ひたすら己の出世にひた走り、役職が上がって秒殺で新しい肩書きの名刺を発注するなり、LinkedInのプロフィールを速攻でアップデートするなり、勝手にご自分で悦に浸っていただければそれでよろしい。
しかし、出世欲に駆られた始末が悪い人物も、それなりに存在する。
出世に興味がない人に対して、実は本心は出世したいのではないかとヘンな勘ぐりをしたり、さらには自分の地位を脅かそうとしているのではないかとまで妄想したりする。
自分は出世を見込まれているという自己評価前提の、出世レースの勝手にオ●ニー選手権なのだが、勝手にライバルと目されてしまった人物には甚だいい迷惑なのだ。
出世に取りつかれた人物の凄まじい執念を超えた怨念の対象となっては、おちおちと健康的に働けないものだ。
ただし、出世や役職に興味がない人間などいないと疑う下衆な人物が、定年後も心穏やかな人生を送っている話はあまり聞かない。
「出世は気持ちイイぃぃぃぃ」と最後のフィニッシュまでは首尾よくいかないようだ。
会社に勤める時間よりも、その先の人生のほうが長い。
俗物には分からない、フィニッシュは別のところにあるはずですぞ。
※矢ガモ社長のイラストに喜んでくれる人がそれなりにいるのは、笑いです。