40歳からの転職者が抱えるモヤモヤ感というものは何であろうか。
「私はもう一花咲かせるぞ!」みたいな気合の素振りをしている人ならな微笑ましい。
こんな御人に「どんな花を前職では咲かせてきたのですか?」と訊ねるのはヤボだ。
他人から見てどうでもいいような過去の成果や実績に固執し続ける人は、どうでもいい話しや、どうでもいい行動や、どうでもいい拘りや、どうでもいいことが多い。
要するにその他大勢感が満開なのだが、どうでもいいと他人に扱われることが本人には堪え難い屈辱なのだ。
しかし、それも他人からしたらどうでもいいので、どうでもいいループから抜け出せなった中高年はいる。
「家族のために新天地で頑張る!」大いに結構な動機付けで、素晴らしい。
同じく家族を守るためとオフィスで滅茶苦茶なことをして、周りに迷惑をかけている上司と対決をしてください。
転職先で数カ月が過ぎて、どうもしっくりこないと、「どうして私を採用したのですか?」と採用した側の責任を問うような人物もいる。
このような子供じみた質問は40歳を超えた転職者からの口からも発せられるのだけれども、人は機会を与えられると逆に不幸になってしまう人もいると認識させてくれる。
選択肢のない人生というものは地獄のように思うのだが、その檻の中にずっと居たい人もいるのだ。
元囚人が塀の外では選択肢が多く困ってしまうようなものか。
40歳からの転職者を悩ますものは、あとどれだけ自分は力を振り絞って働くことができるのか?という、気力や体力的な問題ではない。
これから20年以上も大した栄光もなく、周りからチヤホヤされることもない、小学生の頃に1等賞やがんばったで賞を貰らって褒められるようなことがもう無いのではないか。
そのような、実に子供じみたショゲた自分の心に悩まされているのだ。