部下のマネジメント能力があることは、30代半ばからの転職の武器となる。
30代からの私の転職は、問題のあったマネージャーの後任としての転職が4回もあった。
あえて火中の栗を拾う転職とカッコつければ聞こえがいい。
実際は、転職先のオフィスに渦巻くドロドロやトホホ感にはサラリーマンの悲哀や喜劇を特等席で観戦できるので、それなりに楽しめることができた。
その問題のあるマネージャーが辞めず、しばらく部下にしなければならない状況もあった。
問題のあったマネージャーの元部下で、その男の信者みたいな女性から、チクチクした嫌がらせや悪口を社内に広められたこともあった。
社内の“次はオレがやばいのか?あの転職者はもしかしたら敵なのか?”と、社内で滞留している古参たちと対峙しなくてはいけないこともあった。
古株たちが寄り集まり、新参者の私を潰そうと作戦会議を開いていた暇な企業に転職してしまったこともあった。
そのような場合、採用を決定した上司が擁護者となるものだ。
ところが、「自分はこのチームがこのままでいいと思っていたので、新たに外部から人を採用することは乗り気でなかったんだよ」と、指導力の欠片もない腰砕けで情けない部長の発言に我が耳を疑い、椅子から転げ落ちそうになったこともあった。
まあ、でも、転職者という“よそ者”が受ける洗礼といっても、所詮はサラリーマンのお遊戯的な反抗ぐらいのものなのだな、と転職するたびに思うのだ。
家族を養うため、守るために嫌がらせを仕掛けてくる中高年は可愛らしいものだ。
家庭では立派なお父さん、優しいお母さんなのかもしれない。
転職に慣れている人間は、嫌になったらいくらでも転職ができるので気楽なのだ。
社内をちょっと掃除してやろうかというぐらいの気持ちなのだ。
相手は所詮サラリーマンだし、こちらも所詮はサラリーマン。
『美味しんぼ』の海原雄山氏のように「命にかかわらない真剣勝負はない」というシチュエーションは絶対にやってこない。
そういえば、NHK BSプレミアムの『アナザーストーリーズ 運命の分岐点 山口組対一和会~史上最大の抗争~』で、山口組の顧問弁護士だった人物のインタビューも面白かった。
なんでヤクザやっているのかと組の幹部に訊ねたら、「男の仕事で命がかかっているから」と答えたそうだ。
芸術の世界も極道渡世も、高みに行くところまで行きつけば、大切な命がかかわるものなのか。
サラリーマンは転職ができる能力さえあれば、生き長らえる楽な生き物なのである。