学生向けの就職活動情報サイト、「就活の教科書」が掲載した底辺の仕事ランキングが批判されているけれども、底辺の会社(自称ベンチャー)から私は社会人を始めた。
当時24歳の私は、正社員の身分で社会に出ることが目標だったので、底辺の仕事環境にいる自覚は早かった。
底辺から這い上がることを考えるきっかけになった出来事が、入社後すぐにあったのも幸運だった。
入社して2ヶ月ぐらいが過ぎた時、「電卓が欲しい」と総務の課長にお願いした。
当時はスマホがなかったので、電卓のアプリもなかった。
驚くべきことに、その中年女性から「電卓の使い方は?」と質問が返ってきた。
「足したり引いたり掛けたり割ったり、時にはルートの計算をしたり」と、ちょっとおかしくなって返答した。
卓上計算機を見かけると今でも昨日のように思い出す。
自分自身が底辺にいると、自分で理解できるだけの頭があったことだけは感謝だ。
それゆえ当時の私は、「誰にでもできる仕事」「同じことの繰り返し」「年収が低い」ことへの配慮の言葉を他人から頂戴しようとは全く思わなかった。
会社は設立3年の(自称)”ベンチャー”を免罪符にしていた。
「うちはベンチャーだから」と冒頭に付け足して発言すれば何でも許されたので、考えない人たちが勢ぞろいしていた。
何を底辺職だと思うかは人それぞれなのだが、社会に必要とも、誰かの役に立っているとの思いまでを巡らす脳みそまで当時の私が持ち合わせていなかったのは良かった。
ただ這い上がらなくてはいけないと考えた。
そこには良いも悪いもなかった。
当時の私の心境が、「底辺」と決めつけず、「底辺と感じている」ぐらいの焦り方だったら、今でも底辺と呼ばれる会社に在籍したかもしれない。
私は選ばれた人間でもないし、ただ大勢の中の一人でいることに抵抗を感じただけなので、彼ら彼女らとは違うという選民意識はまるでなかった。
「自分らしく生きる」みたいなお子ちゃまワードもなかった。
今では過激なフレーズと受け止められる「底辺」を強く自覚していなかったら、底辺の会社から私は脱出することができたのだろうか?
私が社会人になった当時と違い、今は誰かの都合で「底辺」さえ誤魔化されている気分になるのだ。