50代に突入するとオフィスで定年後の話ばかりをしている人がいる。
若いころはそんな50代の話を聞いていると、あくびしか出てこなかった。
定年後の話をしているオッサン達は、自分たちが職場のモチベーションを低下させていることに全く気がついていない。
先の見えた人物の話をオフィスで聞かさせる身を考えたほうがいい。
眼の前の仕事を良くしようと没頭している現役社員には邪魔なのだ。
職場にはオッサンにとっての学校の保健室のような機能は求められていない。
その昔、ちょっと小金持ちの気さくなオッサンが、「あと何年で定年でオーストラリア移住。じゃ、お先に失礼します」とオフィスを退出した後、そのチームはオッサンを小馬鹿にしてたのは印象的だった。
人柄のいいオッサンが人柄のいい人の集まりに在籍しても嫌悪感を感じさせるようなので、自分の定年後の話ばかりしているオッサンは注意したほうがいい。
50歳どころか30代半ばを過ぎると早くも若年寄みたいな人物も現れてくる。
40歳を迎えた人物が、「あと10年働いて50歳で仕事を辞める」と聞いてもないのに勝手に宣言をしていたこともあった。
「早くも先が見えたということか。あ~つまんねえ奴だなあ」と私は内心呟いていた。
20代30代で承認欲求モンスター系の人物の中には、40歳を過ぎるとアーリーリタイアみたいな宣言をして承認欲求を満たそうとする人がいる。
自分の能力の限界を知ったということであろうが、その人の人生なので勝手にすればいい。
私自身は50代に突入したが、「ずっと働くつもりですよ」と答えている。
老害にならずに働き続ける方法を考えている。
”何者にもなれなかった自分”を振り返ることもない。
中高年で”何者にもなれなかった自分”を嘆いている人たちは、リアルに暇人だと思っている。
詰まるところ、もっと暇になって頭の中が真っ白の真空で、何も考えることができなくなる定年後に憧れてしまうのだろう。
人生は何度しくじってもチャンスが与えられる。
このことに不幸にも気がつていない中高年は多いと思う。
気がつかないから、「いつか」と口にしたところで、もうとっくに、その「いつか」が過ぎ去ってしまっている人もいる。
時の流れはとても残酷だ。
そうなると、世の中のこと何でも「否定」することから話を始めるようになる。
特に45歳以上で、人の「否定」から入る人物は100%負け組と観察している。
私自身は40歳を過ぎてから、何度しくじってもチャンスを与えられる人生を実感している。
5年前の自分では上手くできなかったことが、今の自分ではできるようになったと実感できると、チャンスを再度与えられたことに感謝をする。
リタイア後の人生にすがって、怯えて過ごすのは時の無駄だ。
チャンスが無かったと嘆く人は、チャンスに気がつかなかっただけなのだ。
チャンスが見えた人に光あれ。