20代や30代の頃に「そんなの常識だ!」とウソばっかり教えてくれた社会人の先輩たちは、今ごろどうしているのだろうか。
無事に勤め上げて老後を迎えられたのか、それとも既に安らかな眠りについていらっしゃるのだろうか。
自分が50代になって、そのように想うようになった。
私が社会人になった90年代半ばから、日本の経済はいちいち説明をしなくてもずっと右肩下がり。
だから、日本では金持ちになる方法より、貧乏にならない方法を学んだ方がいいのだ。
人生の諸先輩方は、誰でも豊かになれるという幻想に踊らされて働かされた被害者なので、常識の2文字を用いて、あの手この手で前途ある若者たちの未来を潰してくれていると思ったほうが無難なのだ。
血縁関係も無い赤の他人に、親切なおじさん、優しいおばさんはいないのだ。
親切なおじさん、優しいおばさんの存在を間違えてしまうと投資話のトラブルに巻き込まれてしまったりもする。
素直な人が伸びるのは、20代に勝ち組の環境に身を置けた人材の特権なのだ。
負け組20代から這い上がるには、まずはダメの中でトップになることだ。
そこで安住しないで、一つ上のダメの中でトップになる。
またそこで安住しないで、そのまた一つ上のダメの中でトップになる。
そして、またそこで安住しないでダメの中でトップになる。
その繰り返しをしていくことだと思う。
1段1段這い上がっていくのには、親切なおじさん、優しいおばさんが置いた「常識」の邪魔な置き石を乗り越えていかなければいけない。
凡人が高い目標を達成するには、途方もなく遥か先に霞んで見えるような、とんでもない目標を設定しないことだ。
日本を変える、世界を変える、大金持ちになる、そんなざっくり誇大妄想な目標ではなく、目の前にある低いハードルを乗り越えることを自分に課し続けることだ。
「そんなの常識だ!」と喧しい先輩たちのお言葉は、「どうせ嘘でしょ」と前提条件を疑うことを身につけたい。
それは考える力を養うことが必要という意味であって、ヒネた心をもてということではない。
「このままだと日本はヤバい!」とイキった人物は、その人自身がヤバいのだ。
当たり前のように、オフィスで朝の挨拶が笑顔でできる人はヤバくはない。
当たり前のことを淡々とやり、「そんなの当たり前だろ!」と威張りもせずにやれる人には余裕がある。
当たり前のことが当たり前にできる人が社会人最強なのだから、当たり前でないことは黙って捨てておけばいい。
大金持ちになりたいと決めて、著名人の贅沢な暮らしぶりをYouTubeでダラダラ見続けている場合ではないことだけは、当たり前に確かなのだ。