例えば、製品の外箱段ボールが少し凹んだだけで納入業社にやり直しを命じる製薬業界は、付加価値がないことに一生懸命だと言えるだろう。
製薬会社の物流倉庫の現場では、作業者が外箱段ボールに僅かな凹みや傷がないのか血眼になって探している。
中の製品を保護して守っている輸送箱なのにだ。
外箱段ボールに傷があると製薬会社からクレームを受けた納入業者は、その製薬会社の物流倉庫の軒下を借りて、中身の製品は何の不具合もないのに、傷一つない外箱段ボールにそそくさと製品を入れ替えをさせられている。
これでは、より少ない労力でどれだけの粗利(≒付加価値)を稼ぎ出すことには貢献しない。
日本の生産性の低さは、こういうへんな業界の常識から生まれている。
そもそも、傷がついて当たり前の外箱段ボールの外観検査を一生懸命にやったところで、給料が上がるスキルなど身に着くはずがないし、仕事のモチベーションも続くわけがない。
よく気が利くご近所の主婦たちを昼間のパート時間で雇えば十分だ。
長年同じ仕事をしたところで、現場の後輩や下請けに威張ることぐらいしかできないのだ。
昭和の教えを引き継いだ先輩たちに、付加価値のないことでも業務の標準化とされてしまい、疑うこともせず従ったのは良いけれど、気がついたら自分自身もその他大勢の標準化をされてしまった。
令和の世になるまで気がつかなかった悲劇が、あちらこちらの平成の人たちに、今は大きな傷となってはっきり目視できる。