夏の夜に街灯にたくさんの虫が集まるように、サラリーマンは社名や肩書きに集まってくる。
とりわけ資本金が大きい株式会社の軒先の明かりは、サラリーマンにはとても魅力があるようだ。
その眩しいばかりの軒先で、世間一般に認知されている肩書きを得るこそが真のサラリーマンの喜びのようだ。
今でこそ「合同会社」は日本でも広く認知されている会社形態だけれども、10年ぐらい前は米系の外資日本法人で見られるぐらいのものだった。
「お前の会社って合同会社なの?それってなんなの?大丈夫なの?」みたいなことを、筆者はちょくちょく言われたほうの立場である。
内心は小馬鹿にしているのだなあと感じていたが、サラリーマンの対外的なしょうもなく小さなプライドみたいなものが垣間見えて、微笑ましくもあった。
その後は、外資の日本法人は次々に株式会社から合同会社に組織変更をし、小馬鹿にしていた輩たちも合同会社に所属するようになるにつれ、そんな質問はされなくなった。
経営環境の変化に最後に追いつくのは、どこまでいっても使用人であるサラリーマンなのだ。
ちっとも市場を拡大することができないセールス&マーケの御人が、「ブランド的にやっぱり合同会社より株式会社のほうがよかったなあ」と、ぼそり口にしたのは爆笑もんだった。
おいおい売れないのは自分たちのせいだろう。
そういえば、合同会社にまつわるサラリーマンの喜劇みたいなものを目撃した一番の出来事を思い出した。
ただ出世をして肩書きが欲しいだけの人物がいた。
岸田さんが総理大臣になりたかっただけで、総理大臣になってからの志がないのと同じ程度の感覚を持つ、ただただ社長になりたかった人物だった。
会社が株式会社から合同会社に変更することを知り、社内弁護士に「合同会社では代表取締役社長を名乗れるのですか?」と真顔で真っ先に質問をしていた。
その人物が、街灯の明るい道端で、車に轢かれてペチャンコになった虫にならないことを願うばかりなのだ。