他人から褒められて恐れられるよりも、他人から馬鹿にされて舐められてきたから、生き延びられてきたのだと思う。
それは自分で狙った弱者の戦い方ではなく、他人から見下される能力しか単純に備えていないからだ。
「ああ、今、眼の前にいるこの人物は、私のことを小馬鹿にしたような眼で私を見ているな」と感じた瞬間は、暗い夜空の星の数ほどもある。
誰も自分のことをたいして気にしなくなる。
だから自分の好きに生きてこられた。
「自由でいいですよね」と他人はいろいろな感情から面と向かってこう言うが、それは自由に馬鹿にされてきた証だ。
馬鹿にされて見下されてきても、信用はたいして失ってこなかった。
「案外、真面目なんだね」「常識人」と、時よりこんなフィードバックも頂戴する。
自分に「変われ」と、時には命令的に催促する人たちは来ては去っていったが、その人たちの話は聞かなくてよかった。
その人たちの利益になる都合のいい人間になっていたら、今ごろは……とぞっとする。
30代であっても、人生を知ったようになった人物は老いて見える。
50代に突入しても、自分の心の中には怒りの火種がいつも宿っている。
もうこの辺でいいやと思うことがないから、なんだか無性に腹が立つときがある。
無性に腹が立つと、成長への努力を始める。
新たなステージに昇ろう。