もう20年以上も前、32歳のころ、「上昇志向の強い奴」と、当時上司だった人に嫌味っぽく言われたこともあった。
その上司の娘さんは東大生の彼氏ができたとのことで、「娘には絶対に捕まえておけ」と話していると嬉しそうだった。
いま振り返ってみると、自分に上昇志向なる火種が心を灯していたわけでもなく、格
野望は微塵もなく、落ちないことだけを願っていた。
それは正解だった。
当時は今よりずっと緩い格差社会だった。
なにしろ、大学受験と就職活動のたった2つで人生が決まってしまうと考えられていた。
単細胞生物のような世の中だった。
転職も35歳限界説が天動説のように唱えられ、キャリアを自分で切り開く地動説は信じられていなかった。
緩やかな格差は多くの人間にその場所での安住と心地よさを与えていたから、今よりもずっと少しの努力で格差の下から這い上がれた。
標本のピン止めされた虫のように身動きが取れなくなった格差は、多くの人をずっと不機嫌にする。
今は20年前よりもずっと自由のはずだが、逆流のようにとても不自由になる人もいる。
それでも格差の下から脱出をする方法は、今も昔も変わらないはずだ。
挑戦とか大それたものではなく、長時間労働のような拷問ではなく、ただ学ぶことだけだ。
お金がないから学ばないのではなく、人は多少のお金ができても学ばない。
お金がなくても日常から学べる。
日々の仕事から学べる。
学びになる人が身近にいれば、それは最高だ。
学ばないからお金がない。
学ぶことが回りまわって自分の給料に反映されることが分からない。
そのような人材には”作業”しか与えられない。
作業に張り付いた人は、自分の仕事は軽くないとばかりに虚勢を張るけれど、軽やかに転職ができる術を学ばなけられば、格差の上に少しでもよじ登ることはできないことを知らない。
当時は「軽いな」とよく小馬鹿にされたけれど、軽くなかった今でも格差の下だったよ。
少しでも考えて、少しでも学ぼうよ。