仕事の成果で社会とつながる社会人でいたい。
会社の就業規則や福利厚生に熱心で、自分の権利獲得に夢中で、仕事で助けてもらっている人たちに興味や関心が薄い人に出会うと、心からそう思う。
20代ならまだしも、40代で仕事の成果より権利を主張している人には、憐れみすら感じてしまう時もある。
ブラックホールのような心の底からの恐ろしい闇を見せてくれる人もいる。
彼ら彼女らを多少なりとも救ってくれた単語は、ワークライフバランスや働き方改革なのだろう。
護送船団方式を続けてくれている国に感謝するべきだろう。
しかしながら、ワークライフバランスや働き方改革を声高らかに叫ぶ人たちは、国が悪い、社会が悪い、会社が悪いと感謝はしない人たちだから、国や会社はたいへんなのだ。
40歳を超えて、根拠もなく自分が漠然と損をしている仕事人生だと感じている甘ちゃんは、自分の成果には熱心でないどころか、社会人になってから仕事に夢中になった時期もないようだ。
仕事に夢中になれない40代は、20代に自分らしくと自分探しの旅をしてしまった人物が多いように思う。
飯を喰っていくために、自分にはこれしかないと淡々と仕事に打ち込んだ人のほうが、よっぽどマトモになっている。
「シノギ」ではないが、何とかしのいできた人のほうが、年齢を重ねてから仕事に凄みが増す。
自分らしく生きることと、自分の人生を生きることは全く違うのだ。
自分の人生を生きている人には、仕事の成果がそこにある。
ともかく、「自分は損をしたくない」と、目くじらを立てている人物からは離れていよう。
この世の中は他人から支えられて、自分は生かされていることを全く理解していない幼い人物に、余計なお節介は火傷のもとだ。
年齢を重ねて顔が歪んでしまった人に向き合うよりも、桜の花を楽しむ時間に使ったほうがいい。