口ヒゲのC営業部長は、当時新人の筆者にはインパクトがあった。
今に思うと、演歌の歌番組に登場した頃の堀内孝雄に似てたような。
筆者は商売屋の家に生まれ、両親の兄弟もサラリーマンは少数なので、見慣れていなかったことも影響していると思う。
当時の筆者には、サラリーマンは多摩川の鯉よりも遠い存在だった。
さて話を先に進める。
営業配属初日は、池袋駅から山手線でぐるっと回って上野駅で降りた。
頼もしいお姉さんのD営業主任に連れられて、同期のE君と筆者の3人でアメ横に向かった。
目的は、大きな営業カバンを新人2人に買うことであった。
「これがいいわ」 アメ横の鞄屋に到着するなり、D営業主任が即決で買い与えてくれた。
「 C営業部長にはこれが一番 安かったと言うのよ」と、D営業主任は領収書を貰いながら言った。
大きな営業カバンは、取扱いをしている海外ホテルの料金表(タリフ)を入れる為だ。
1冊200グラムぐらいの重さはあったので、30冊も鞄に入れると6キロになった。
片手で持つには、結構重かった。
その重い営業カバンを持って、海外旅行代理店に半ば飛び込み営業に回るといった具合だ。
筆者にはその重いカバンよりも毎日スーツにネクタイ、革靴で歩き回るほうがイヤであった。
真夏の灼熱でも スーツにネクタイ、こんな非合理的な服装はないと思った。
毎日毎日歩き回るので、革靴を履いている足も痛くなってマメができた。
当時は、当然クールビズもビジネス・カジュアルもなかった。
スーツというものは、半ば飛び込み営業的な仕事に就いている者には相応しくない服装と考え、だんだん腹立たしくなった。
宅急便のセールスドライバーの軽装を見て、真面目に羨ましかった。
東京の夏のクソ暑い時に、スーツの上着を左手に抱えて、右手には重くて大きな営業カバンを持って歩いているのか。
こんな非合理的なアホな姿はないと思った。
筆者にとって最も非効率的な働き方をさせてくれたのが、この1社目だった。
当時の筆者は、効率、非効率の意味もよく理解していないレベルだったが、「これは非合理的で何かがおかしい」と思った。
「それが会社じゃん」と、割り切れるほどの知識も経験も、当時の筆者は持ち合わせていなかった。
「会社というもは、非合理的なものをウェルカムする」と、次第に理解していった。
非合理的なものは、C営業部長のような人種には大好物だ。
これから先、腐るほど似たような人種には出会うことになる。
営業から帰ってくると、毎晩毎晩C営業部長に雑居ビルの屋上に連れられて、 タバコを吹かしている部長に立ちながら営業報告。
就業時間が過ぎ早く帰りたい筆者と、帰社をなるべく引き延ばしたいC営業部長のせめぎ合いだった。
営業報告に中身はなかった。
はっきり言おう。
当時の筆者は、自分より年上なのに頭が弱い人間が大嫌いだった。
C営業部長が、「行って会ってこい」と教えてくれた取引先の担当者のところに行く。
たいした取引金額もないぐらいは事前に調べて分かっているが、とにかく行ってみる。
大抵、過去に会社や C営業部長に何らかの因縁のあった担当者が多く、訳もなく怒られたり一通り説教を頂戴する。
帰社してC営業部長に報告すると、「ふーん。やっぱりうちの事が嫌いなんだ」と、ニタニタして返事をする。
一緒に営業に行けば、例のごとく風俗街を歩いて駅に向かい、駅前のポケットティッシュは逃さずもらっていた。
「え、君はティッシュ受け取らないの?私と女房は必ず貰ってきて、我が家はティッシュを買ったことがない。」
移動時間も「パチプロ集団の梁山泊がなんたらかんたら」と、筆者に全く興味のない話の連続だった。
「パチンコやらないので。」
「酒も飲まないので。」
「音痴で歌も謡えないので。」
「テレビ観ないので分かりません。」
と、筆者の返答はいつも素っ気なかった。
取引先のオフィスを出ると、必ず「彼はキーパーソンではないから」と、憎まれ口を叩いていた。
「部長はいつキーパーソンに会うのですか?」、そう聞いてやろうと思った。
筆者の心の中には、嫌悪感みたいなものが日に日に増幅していった。
C営業部長にではなく、成長を感じない自分に対する嫌悪感みたいなものであった。
自分自身の成長を、例えるなら芝生が成長するように地味で、味気なく、面白味がないものと考えるようになった。
(つづく)
この成長を見るのは楽しいのか?