入社式の前に、まずは卒業旅行の話だ。
当時の学生には卒業旅行なるものがあって、旅行業界にとってそれなりの市場になっていたと記憶している。
と、過去形で書いてみたが、今でも卒業旅行はあるそうです。
社会人1年生と、大学1年生の娘さんを持つお母さんから教えてもらった。
”今は高校生も国内に卒業旅行するし、大学生は友達を変えて国内・海外何回もやりますよ”、と。
そのお母さんのお話を聞いていると、卒業旅行ってけっこう楽しそうですな。
筆者はもちろん卒業旅行などしなかった。
当時、その趣旨がわからなかった。
社会人になると時間がなくなり、給料を貰っても遊びに回す金銭的な余裕もなくなる。
就職先も決まって、学生時代の最後の思い出作りに海外旅行にでも、といったのが当時の趣旨だったと思う。
「社会人になってこそ自由になるのに。給料をもらえて学生より確実にお金はある。自由な働き方を工夫すれば、いくらでも時間を作れる。なにゆえ卒業旅行?」
と、卒業旅行を有難がっていた者どもを小馬鹿にしていた。
「就職すれば海外旅行する余裕もなくなるからさ」、などと耳にすれば、「自由を得るために働くのだろーが。」と、メラメラ反抗心が燃えたものだ。
当時の筆者の卒業旅行に対する嫌悪感みないなものは、「誰が決めた分からない一般常識」的なものへの反抗でもあった。
また、社会に出たら、「休みを自由に取って遊びにいけない。つまらない生活が待っているのか」、という一種の嘆きもあった。
かといって、筆者の大学生活は全く面白くなかったが。
さて、1995年4月3日の 月曜日、社会人となって初日を迎えた。
筆者は3月31日の金曜日まで、Final Examなる卒業試験を受けていた。
4月1日と2日の土日の2日間が、学生と社会人の境目となる特別な週末と思ったりもした。
筆者もなかなか可愛らしいものだ。
今振り返るとそう思う。
筆者が滑り込んだ1社目の会社は、設立3年ちょっとの海外旅行ベンチャーだった。
池袋駅西口から徒歩15分ほどにある7階建てぐらいの小さなビルにあった。
初の新卒者を6名も迎え、社員が15名から21名(だったと思う)に一気に増えた。
素晴らしいことに、この会社は今も営業をしている。
設立20年を超えて、創業者の2人のA社長とB副社長が全株をファンド運営会社に売却した。
A社長は全株を売却して引退されたと思うので、今頃は悠々自適だろう。
ファンド運営会社の傘下になって、B副社長が社長になり営業を続けていたが、こんどはWebメディアのベンチャー企業に売却された。
社長の座を引き継いだB副社長もご年齢を考えると、ここで引退したと思う。
今はその Webメディアのベンチャーの連結子会社になっている。
社員数は2018年6月現在、47名と会社概要に載っている。
4月3日の朝、池袋のサンシャインシティの貸会議室(だったと記憶している)で、入社式を迎えた。
男子2名、女子4名の計6名の新入社員を迎えたのは、先に書いた創業者のA社長とB副社長、そしてC営業部長の3名だった。
決意表明みたいなものをさせられたが、何を決意したのかまるで覚えていない。
そもそも決意表明などできるはずない。
筆者は、ただ正社員で社会に出るだけの目的しかなかった。
さて、これからどうしましょう状態だった。
最初の4日間は貸会議室で、新入社員研修だった。
お辞儀や挨拶等のマナーは、地獄の特訓で有名な研修会社から派遣された講師が、2日担当したと思う。
A社長は、この地獄の特訓の研修会社に妙にご熱心だった。
信者か?とすら思った。
3日目は、社長の友達の業界関係者を3、4名招いての座学。
海外旅行業界に関する勉強会であった。
最終日の4日目は、A社長自ら講師になった。
講義内容は全く記憶がないが、A社長が新入社員6名にした1つの質問だけはよく覚えている。
「学生と社会人とは何が違う?」という質問だった。
筆者は、「社会人は嫌な人と付き合わなくてはならないから、学生よりたいへんだと思う」と、子供のような答えをした。
A社長は、「会社が利益を上げることに貢献するのが社会人」との回答だった。
「なるほど、ごもっともです」 と、筆者は返答するしかなかった。
(つづく)
卒業旅行は楽しそうです。今頃知った。