正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

【2社目】スキルはなく恐怖心を身につけての初出社だった!

1997年3月10日、筆者はキャリア2社目となる米系外資企業のオフィスに出社した。
ボストン郊外に本社を置くこの企業は、全世界で社員500名ほどで、売上高は400億円ぐらいの中小企業だった。
日本法人は設立6年目、売上高4億円弱、筆者を含めて社員5名、アルバイト1名の本当に小さな所帯だった。

筆者はこの2社目となる企業に5年間在籍をした。
まさか入社したての97年当時は、この後に日本法人の社名が2回も変わるとは想像できなかった。
アメリカの親会社が片田舎の中小企業から、従業員約12万人、売り上げ約2兆7,000億円(筆者退職時の2002年当時)のグローバル企業になる事も、夢にも思わなかった。

筆者は新卒1社目で、余裕のありそうな美人妻の先輩社員が、「谷川君、結婚相手を幸せにしたければ大きな会社に就職しなければダメよ」と優しい笑顔で教えてくれた。
新卒で社員15名程度の零細企業に就職した筆者の将来を憂いてくれた。
彼女の旦那様は大手私鉄のグループ会社に勤務していて、旦那様の会社は安定していて安心だと仰せだった。
大企業に就職することを”よし”とするならば、就活や転職だけが大企業へのエントリー方法ではない。
在籍企業が5年間で2度も買収され、その中で自分が生き残れば、〇兆円規模の会社に裏口入社できると美人妻に教えてあげたかった。
ただ、筆者は在籍期間中、全く安定や安心などを感じなかった。
大手は安定しているなど大嘘だと20代に体感できたことは、とても良かったと思っている。

さて初出社前を振り返ってみたが、筆者はほぼ事前準備はしていなかったと思う。
外資も初めて、業界も初めてだったけれども、未経験者歓迎に甘えさせてもらった。
入社前は何もイメージを持ち合わせていなかったので、ある意味開き直っていたようだ。
当時の筆者は英語はたいして使えなかった。
外資といっても日本法人はみな日本人なので、少なくとも日本語で話は通じると分かっていたので安心していた。
取り扱い製品である工業用の計測機器については全く何も知らなかった。
その業界に興味があって入社したわけではない。

1社目の副社長曰く「落ちこぼれ」の身の筆者だったので、そもそも会社や業界を選べる立場になかった。
正社員で入社できれば、業界など飲食、パチンコ、不動産以外であったら何でもよかった。
とにかく正社員で再度職を得ることが全てだった。
ただのアルバイトのフリーターだけにはなりたくなかった。

今回の転職活動というか再就職活動で、正社員として職を得ることに再度成功できたので、二度と正社員のステータスを手放さないことが筆者の当面の目標だった。
正社員で飯を喰っていくスキルを身につける為に、短期間で簡単には辞めることは絶対できなかった。
既に26歳となっていた筆者には緊張があった。
2社目も短期間で退職という結果になってしまうと、さすがにこれから先の仕事人生は厳しいものになるだろうという恐怖心があった。
現在第二新卒での仕切り直しを考えている皆さんは、もっと強い危機意識を持たれたほうがいい。

人を真に突き動かすのは恐怖心だ。
筆者の20代にSNSがなくて本当に良かったと思う。
カリスマやインフルエンサーに影響されて定石を逸脱することはなかったし、ポジティブ・シンキングの無限ループ地獄に陥ることもなかった。
スーパー経営者や著名人の勝ち組にしかできない事に憧れるのは自由だし、松岡修造の日めくりカレンダーを眺めるのも自由。
但し、できもしない夢を見て、やれないことにワクワクするよりも、自分がやれる事をやりたいようにやって何処かにたどり着くほうがよっぽどいい。

当時、恐怖心だけが筆者を動かしていた。
身につけているのはスキルではなく、恐怖心だけだった。
自分がやれる事を増やすしかなかったので、立ち止まっているわけにはいかなかった。

出社初日の朝、オフィスの小さな応接室兼会議室で社員に挨拶をし、筆者の2社目がスタートした。
(つづく)

f:id:sehaooooo:20191211000928j:plain