第二新卒
新卒入社3年以内の離職率は3割以上。よく話題となっているが、社会人の先輩たちの”成れの果て”の姿を見てしまえば致し方なしなのか。社会人になってまだ1ヶ月の新人に「ゴールデンウイークの過ごし方で差がつく」と先輩にイキられても、差をつけられたほ…
「会社を辞めたい」とか「もう辞めた」とか、4月入社の新卒がTwitterでこう呟くのはこの時期の恒例行事となっている。 筆者自身を振り返ってみると、当時は氷河期の始まりだったので、“正社員”の身分で社会に出ることだけを考えていた。 設立が3年ちょっとの…
とある20歳を過ぎた若者が、「完全週休二日制で手取り○○万円ぐらいの会社に勤めたいです」と、おとなの人に就職相談のような会話の中で希望を口にした。 「君は上位校出身でもないし有名大手企業にも就職することも無理そうなのに、勝ち組のやつと同じ待遇を得…
よくTwitterでは「行くなら大手か?ベンチャーか?」の2択の議論がずっと花盛りではありますが(なぜ大手か?中小か?ではないのかなぁ)、どこに行こうがご本人の好きなようにすればいいのだけれども、それよりも次の2つのことがキャリアにはより大切だと…
今の社会は自由になったというけれども、“例外”を認めようとしない人たちが増えて、不自由さも増している。 どうして“例外”に目くじらを立てるのかといえば、その“例外”でなんだか得をしている人がいそうだと勘ぐる人が増えたからだ。 “例外”とは容易く利益…
棺桶に入るときに「人生楽しかったな」と思える人生を過ごしたいと仰せの御仁が、企業で人の上に立つ地位を目指し、その結果として多くの下の者たちを不幸にしていることがある。 楽しい人生であったと晩年に総括するのはその御仁の勝手ではある。 しかし、…
「頑張っても報われないかもしれない。けれども、頑張らないより頑張ったほうが報われる確率が高くなる。」 「間違った頑張り方だと報われない確率が高くなる。」 このことを教えてくれる大人が少なすぎると思います。 大人はなんでこんな大切なことを後輩たち…
この社会には、不機嫌に働いているおっさんおばさんサラリーマン(ウーマン)が一定数必ず存在する。 なぜ減らないのかといえば、この不機嫌なおっさんおばさんがサラリーマン社会には必要とされていて、この不機嫌なおっさんおばさんは誰かによってある程度…
筆者は就職氷河期の始まりの90年代に正社員で社会人となり、初任給の手取りが11万円だった。 翌月5月の給料はたしか手取り14万円だった。 設立3年目ぐらいの零細ベンチャーで、給与明細は経理の女性の手書きだった。 あまりにもお金がなかったので、お昼は決…
入社初日は月曜日で、その週の金曜日の夜に歓迎会があった。場所は前年96年秋にオープンした新宿高島屋の14階にある中華料理屋で、社長が予算を奮発してくれた様子だった。オフィスから会場まで皆で歩いて行った記憶がある。筆者の歓迎会というより、皆…
1997年3月10日、筆者の2社目がスタートした。日本法人は設立6年目、筆者を含めて社員5名とアルバイト1名の本当に小さな所帯だった。オフィスの小さな応接室兼会議室で社員に挨拶をした。 メンバーは以下の皆さんだった。 60歳を超えた初老の溝…
1997年3月10日、筆者はキャリア2社目となる米系外資企業のオフィスに出社した。ボストン郊外に本社を置くこの企業は、全世界で社員500名ほどで、売上高は400億円ぐらいの中小企業だった。日本法人は設立6年目、売上高4億円弱、筆者を含めて…
今回で節目の100記事目となりました。これからもご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。 1997年3月10日に、筆者はキャリア2社目となる米系外資企業に初出社となった。筆者の外資系企業暮らしはこの日から始まった。当時外資系企業への就職は…
1ヶ月半ぶりに筆者のキャリアの物語を再開させたい。これから先のストーリーは2社目に突入するのだが、その前に初めての転職というか再就職活動を簡単に振り返っておきたい。 11月といえば、11日はポッキーの日、22日はいい夫婦の日だけれども、30…
「貴方は健康ですか!?」「ご両親は健康ですか!?」「貴方は健康ですか!?」1997年2月中旬、無職の筆者は再就職を目指して面接に挑んだ。ずっと無言のまま鋭い眼光を投げかけていた溝田社長の質問はこれが全てだった。面接をリードしていた新谷さん…
1997年2月中旬、無職の筆者は再就職を目指して面接に挑んだ。面接の冒頭、1名の募集に対して100人超の応募があったと知らされた。なんと、なんと、なんとだ!名刺ほどの大きさしかない求人広告なのに。失礼ながら無名の外資企業の募集なのに。外資…
26歳の失業者は再就職を目指すべく、いよいよ面接に向かった。目指す米系日本法人のオフィスは新宿の外れにあり、閑静な一画にあった。4階建てのビルの3階部分を借りていた。1フロアー全体で40坪程度の小さなオフィスだった。ビルの建物は半面がオー…
米系日本法人が営業管理を募集し、書類を応募したところ面接に呼ばれた。1997年2月中旬のことで、筆者が無職となってもう2ヶ月半の時が過ぎていた。これまでその企業の業種に全く触れてこなかった。理由は簡単で、当時の筆者は業種に大きな拘りを持っ…
1997年1月下旬か2月上旬発売の『週刊B-ing』で、米系日本法人が営業管理を募集している求人が目に留まった。未経験者歓迎だったので、無職の筆者は応募をした。しばらくして、その会社の女性から面接依頼の電話をもらった。1週間後くらいの候補日を幾…
1997年の年が明け、当時26歳だった筆者は、第二新卒枠を狙って再就職を目指した。第二新卒といっても、要するに、ほぼ未経験者のことを指す。自分を転職市場における商品と考えた場合、27歳社会人1社経験5年目の人材と比べると、相当見劣りしてし…
1996年の師走に失業者の身となった筆者だったが、やきもきしていたのは再就職活動ではなく、夜空の天体だった。ヘール・ボップ彗星は、年が明けたら大彗星となってその姿を現すのだろうか?天体ショーには不思議なジンクスがあって、事前にマスコミが大…
「君は軽いな。」退職してから暫くの間、社長に言われた軽い嫌味の一言が頭に残っていた。1996年12月1日に、筆者は無職になった。今現在までで社会人になって最初で最後の失業期間に突入した。その日は日曜日だったので、翌日12月2日の月曜日から…
この2ヶ月は副業関連の記事を書いてきた。 副業がいくら流行っても、多くのサラリーマンには本業が生活を支える屋台骨であることには変わりない。ご承知の通り、臨時収入や片手間程度の副業では本業の代わりとはならない。副業を真剣にやりたければ、本業を…