正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

20代手取り14万円から抜け出す方法を教えてくれる人が身近にいない問題

筆者は就職氷河期の始まりの90年代に正社員で社会人となり、初任給の手取りが11万円だった。
翌月5月の給料はたしか手取り14万円だった。
設立3年目ぐらいの零細ベンチャーで、給与明細は経理の女性の手書きだった。
あまりにもお金がなかったので、お昼は決まっておにぎり1個と公園の水だった。
たまには贅沢をするかと今でも店舗がある市ヶ谷のサブウェイにふらっと入店したが、サンドウィッチの値段が高くて買えずコーラだけで済ましたことを思い出す。
ほんとうにカツカツの身だったので、大手に就職している同じ20代の給与や福利厚生の話を聞くと凄いなと純粋に思った。
7月の賞与は図書券1万円だったので、その日のうちに金券ショップに寄って現金に換えた。
最初の上司で、取締役の肩書きだけがプライドの部長が珍しく奢ってやると後を付いていったら、そこは安くて不味いハンバーグの店だった。
部長は街角のティッシュ配りには必ず手を出してもらい、家で使うティッシュは全て無料だと笑っていた。
その次に上司になったヒステリー女性課長の目標は結婚で、手書きの給与明細を睨みつけるように毎月チェックをしていた。
当時40代後半の社長の話は、昭和の栄光話と精神論があっただけだった。
90年代、日本がこれから先ずっと不景気になることを誰も考えていなかった。 
やりたい事が無かった20代の筆者だったが、金銭的な貧しさ以上に、周りにある精神的な貧しさから抜け出したかった。
それにはどうしたらいいのかと筆者なりに考え、つたなく実行し、8年ぐらいで抜け出すことができた。
筆者が手取り14万円の頃から26年余りが過ぎたが、今でも手取り14万円で喘いでいる20代の記事が眼に留まった。
26年の歳月は日本を立派な格差社会にした。
筆者が20代の頃はiPhoneもYouTubeもTwitterも無かったけれども、社会人の始まりが手取り14万円でも、今より脱出する機会がずっとあったように思う。
国が悪い、社会が悪い、政治が悪いと誰かのせいにする前に、今ある深刻な問題は、20代手取り14万円の人たちに、そこから抜け出す方法を教えてくれる人が身近にいないということではないか。

手取り14万円「正社員なのに貧困」苦悩する20代女性 唯一の贅沢は月1度の銭湯 <AERA>

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