正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

【1社目退職】うまく言葉で説明できないから面接は自由に頭の中を覗き込んでくれ!

1997年1月下旬か2月上旬発売の『週刊B-ing』で、米系日本法人が営業管理を募集している求人が目に留まった。
未経験者歓迎だったので、無職の筆者は応募をした。
しばらくして、その会社の女性から面接依頼の電話をもらった。
1週間後くらいの候補日を幾つか挙げてもらい、その中から1つの日時を選んだ。
無職なので何時でも面接にお伺いができるのだが、ちょっとは忙しい素振りを会話の中で見せていた。

兎にも角にも、面接に呼ばれたという事は、送付したレジュメが企業側の求める人物像にマッチしているということだ。
また、応募書類に粗相もなかったのだろう。
どうやら第一関門は突破したようだった。
しかし、喜んでいる場合ではない。
何の対策もしていない面接が大問題だ。
「いつ何時、誰の挑戦でも受ける。」
往年のアントニオ猪木のような自信は全くなかった。

大勢の求職者の陳列棚から企業に選ばれるのには、Twitterの140文字も必要としない、たいへん判りやすい人材が有利だ。
20代の転職は、やはり大学名と企業名のブランドが大いに幅を利かせることになる。
そのブランド名の威光があるうちに日々の職務に打ち込み、キャリアの構築に勤め、職務経歴書の内容を充実させる必要がある。
30代半ばにもなれば、大学名と企業名のブランドだけでは転職は厳しくなる。
誰が言い出したかよく分からない35歳転職限界説を鵜呑みにして、そこから10年さらに胡坐をかけば、あっという間に45歳になってしまう。
45歳になって待ち構えているのが早期退職制度だけでは非常に寂しい。
なお、30代後半以上の候補者も大学名と企業名で採用を優先していると(傍から)見える企業は、相当頭が悪いか、怠け者の人事や採用担当しかいないダメ会社だ。
筆者はこのような採用が弱い組織に在籍したこともある。

当時、筆者は急ごしらえで「第二新卒」のラベルを自分に張り付けた。
ろくな経歴の持ち主でなかったので、少しでも自分をよく見せる為に第二新卒は適当なラベルと考えた。
面接では当然ながら第二新卒を上手にアピールしたいところだ。
それでは、企業に求められる第二新卒とはどのような人物像なのであろうか?
さらに、同じ第二新卒の候補者と競合した場合、筆者は何をウリにすればいいのだろうか?
そんなことが頭の中を巡ると、どうにも収集がつかなくなってしまった。
それは、ホーキング博士が宇宙の全てを語るよりも難しい作業のように思えた。

そのような地を這うような低レベルの言語能力だったので、「他人は苦労しているのに自分は簡単にできてしまう」ことを面接で披露することなど不可能であった。
せっかく前社で唯一発見した自分の才能をアピールできないのは悔しい。
筆者なりにあれやこれやと頭をひねって面接のリハーサルをやってみたが、酒が一滴も体内に入っていないのに酔拳を披露しているような体になり、非常に恥ずかしくなってしまった。
見事にノーガードのお手上げ状態になってしまった。
やや放心状態気味になっていたところ、「君は軽いな」と前社の社長のあの嫌味な一言が蘇ってきた。
「俺は軽くない!少なくともヘリウムよりは重い!」
そう自分に発破をかけた。

面接官が筆者の頭の中を覗くことができて、そのポテンシャルを理解してくれたら非常に楽なのに。
当時の筆者は真面目にそう考えた。
『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリが目の前に現れて、「あなたの事は、あなたにしか分からないのですよ」と、優しく諭してくれるわけはない。
ハラリは97年当時はまだ学生だったのかな。

よーし、やるしかない!
しかし、頼るべきは手元にある転職マニュアル本しかなかった。
仕方がないので、大人しくマニュアル本の型に従って、面接の準備を始めた。
学生時代の振り返り、就職活動の振り返り、なぜ前社に就職したのか、前職でやったこと、1年8ヶ月で退職した理由、会社の志望動機、将来やりたいこと......
一つ一つのイベントを履歴書を見ながら考えていると、ある事に初めて気がついた。
それは、企業にはレジュメに書かれていることが確かなのか確認する場、それが面接だと分かった。
お蔭で筆者は、面接で下手に背伸びをする必要はないと安心をした。
これ以降から現在まで、筆者は自分ができない事は面接の場でアピールすることはない。
お蔭で面接の達人にはなれないのだが、想像していた通りのスペックの人物となり、採用企業に安心感と納得感を与えることができるらしい。
「谷川さんって自分を背伸びさせて話さないよね。」
30代に懇意にしてくれた人材会社の人物の評だ。

そして、ついに面接当日を迎えた。
1997年2月中旬のある冬の午後だった。
(つづく)

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