ここから先は、最初の退職までの話となる。
96年秋頃から11月末まで、約3ヶ月間のストーリーだ。
筆者が、”三面怪人ダダ別名般若面またの名を不死身の鬼美濃”であるE課長の部下となり、8ヶ月経った頃からの話だ。
余談となるが、”三面怪人ダダ別名般若面またの名を不死身の鬼美濃”は、文字数を稼ぐための表現ではない。
E課長を最も端的に表現しようと努めると、最低でもこの23字は必要となる。
100字ぐらいあったものを、5分の1に字数を削らせて頂いた。
表現者としては泣く泣くの削除作業だった。
周防正行監督は、映画『Shall we ダンス?』をアメリカで上映するにあたり、一部シーンを泣く泣くカットしたという。
同じ表現者として、筆者は周防監督の気持ちが痛いほど分かる。
そんなわけないか!?
さて、会社は創立以来初めてとなる社員旅行を催した。
筆者にとっては、現在までで唯一参加した社員旅行だ。
金曜日午後に池袋外れのオフィスにバスが到着し、社員がいそいそと乗り込み、伊豆修善寺の温泉宿に向かった。
お迎えが、ガングロで派手なバスガイドのお姉さんだったことをよく覚えている。
翌日の土曜日を潰しての1泊2日の行程だったが、チーム・ビルディングなどの特別な目的はなかった。
到着後は大広間での酒宴の席。
何気なく着席したら、真向かいにE課長のご尊顔があった。
たいへん不幸なことに、夕食の最中、筆者はE課長からガン睨みをずっと決められてしまった。
そこで筆者はアルカイック・スマイルを繰り出し、何とか対抗しようとした。
飛鳥時代の仏像のような不自然な微笑を返してみた。
E課長との会話は全くなかった。
次第に筆者はE課長の圧に負け、恐ろしい看守に見張られた囚人のようになり、顔面が引きつってしまった。
プリズン・ブレイクは夢のまた夢。
夕食は砂を噛むような味だった。
夕食後、お決まりの宴会となった。
筆者がE課長に" Shall we dance ?"と申し出ることはなく、すぐに煩いカラオケが始まった。
温泉宿の社員旅行など、オツムの程度はたかが知れている。
筆者は少しは大人になっていたので、皆さんにお付き合いした。
そして、なぜか全女性社員から嫌われていた50代の女性課長とデュエットをした。
「谷川君も大人になったなあ」と、A社長に褒められた。
「あの人と一緒に歌うなんて!心が広いね!」と、先輩達に感嘆された。
デュエットした当の課長も、久しぶりに異性との共同作業だったようで、いたくご満悦のご様子であった。
そんなこんなで、筆者はそつなく社内行事をこなしていった。
山奥の静かな温泉宿で、カラオケなど不要だ。
星を眺めようと抜け出したら、玄関口に先輩女性社員がいた。
彼女も喧噪の大広間から抜け出していた。
「谷川君大丈夫?」
と、おもむろに尋ねられた。
「私の席はB副社長のデスクに近いのだけれども、毎日のようにE課長が谷川君のことをB副社長に話をしているの。」
続けて聴いた内容は、筆者の想像以上のものだった。
一方的に筆者に非があると、E課長からB副社長に吹聴されるのは、やはり癪に触る。
ただ、筆者は反論の場を設けようとするまでの強い気持ちを既に失っていた。
「果たして在籍するに値する会社なのか?」
筆者は心の片隅に、こう疑問が芽生えていた。
秋頃には、「〇〇さんは、谷川さんのこういうところが〇〇で、大嫌いだと言ってます」と、筆者の人格否定にまで説教は発展していた。
さすがに、「もう十分ではないのか」と考えるようになっていた。
また、社内を見渡せば、役職者はA社長に「踏まれても、踏まれても、ついてゆきます下駄の雪」のようだった。
どこにも行けない中高年の成れの果ての臭いを感じた。
E課長も退職届を提出したのに受理されず、結局会社に残る選択した。
彼女も同じように、市場では行き場のない人材だったのだろう。
そして、自分の人生が好きでない人間は、他人を好きになることは絶対できない。
C営業部長も、デュエットした女性課長も、E課長もそれを正に具現化していた。
筆者は当時も今も、会社と社員は対等の立場だと考えている。
会社と対等になる為に、当時は「正社員」の身分を手に入れた。
社会人2年目、スキルも経験もない人材の命綱は、「正社員」だった。
自分の足元を見つめれば、下駄も履いていない裸足の筆者。
この会社を辞めて、筆者を「正社員」で採用してくれる会社はあるのかと、心細くもなっていた。
(つづく)
下駄は夏の履物で草刈民代さんも踊ってはくれまい。