今年の7月29日からこのブログを始め、5ヶ月続いた。
7月半ば過ぎ、誕生日の翌々日の午後、旅の途中で「書くこと」を決めた。
誕生日を迎えて、何か新しいことをしたかった。
昼下がり、電鉄富山駅に向かうローカル電車に揺られながら、そう決めた。
筆者は口が悪く、予期せず人を不快にすることがあるので、口は動かさずに手を動かすことを始めた。
口は災いのもとだが、書くことは人を確かにする。
大した字数ではないが、書くことを自分に課すことに決めた。
次に、書くテーマを考えた。
喰うか、遊ぶか?
はたまた寝るか?
そんなテーマにしようかとも、一瞬思った。
まるで、日産のセフィーロのCMのようだ。
昭和の終わり、井上陽水が出演していたあのCMのコピーだ。
当時の筆者は18歳で、大人は誰もが自由で楽しそうだと思っていた。
自由な大人もいれば、不自由な大人もいることに気が付くのは、もっと先のこと。
就職して1社目で出会った人達から、不自由な大人のリアルさを目撃した。
当時の筆者には、大人は原則自由、少なくとも筆者よりも自由だと思っていた。
毎日学校に行かなくていいし、お金もあるから自由なのだと考えていた。
高校生の頃、毎年冬になると親が長野県の白馬にスキーに連れていってくれた。
スキー場近くの常宿で出会った大人達は、皆さん自由に見えたのが印象的だった。
昼間は楽しく滑り、夜は楽しく飲み食いしていた。
子供の頃から、自由が好きだった。
自由という言葉に敏感だったから、ブログのテーマも自由に決めた。
大人になり、人が自由になる手段は、「学ぶこと」か「働くこと」の2つしかないと理解した。
いくら喰っても、飲んでも、遊んでも、人は自由にはなれない。
一時の心の解放か、現実から逃れるために夢中になるものなのだろう。
スキー場の宿で会った大人達も、高校生の筆者の知らないところでは、不自由だったのかも知れない。
お金はどうか?
お金は、ある程度は人を自由にする。
「貧乏は恥ではない。ただ不便なだけだ。」と、先人が申していた。
お金がない不自由さは、その不便さに慣れてしまえばなんてことない。
要は気の持ちようだ。
食料品なら成城石井ではなく、普通のコンビニで買えばいいだけだ。
スタバやブルーボトルのコーヒーではなく、マックのコーヒーで十分だ。
本当の自由は、「学ぶこと」か「働くこと」の2つからしか得られない。
筆者は社会人10年ぐらい経って、ようやく気が付いた。
勉強は嫌いなので、ブログのテーマは、もう一つの「働くこと」に決めた。
筆者は、誰が何と言おうが、働くことが好きだ。
筆者のキャリアを振り返りながら、筆者なりに働くことの意味をブログに書こうと考えた。
大袈裟に表現すれば、筆者の考えを世に問おうと考えた。
今回で39回目を迎えるこのブログで、筆者自身のキャリアの振り返りは、まだまだ序盤の序である。
筆者は、根本的に、自由を獲得するために働いている。
そして、筆者のキャリアの物語は、悪戦苦闘しながら自由を獲得する為に、現在進行形だ。
そんな折り、「働く喜び調査」が筆者の眼に入った。
リクルートキャリアが、2017年に、15歳から64歳までの5,624人を対象に実施したものだ。
働くと聞いて思い浮かぶ言葉は、報酬が1位。
順位 |
言葉 |
件数 |
1 |
報酬 |
1,042 |
2 |
生活 |
522 |
3 |
お金を稼ぐ為の手段 |
341 |
4 |
仕事・仕事がある |
284 |
5 |
大変 |
193 |
6 |
つらい |
176 |
7 |
生きる・生きていく |
160 |
8 |
生きがい |
126 |
9 |
体を動かす・労働 |
117 |
10 |
しんどい |
111 |
2位以降に「自由」はでてこない。
それどころか、あまり楽しそうな単語が並んでいない。
働くことは、これほど後ろ向きなのだろうか。
多くの人は働いているのに。
(つづく)
当時高校生だった筆者にも、糸井重里さんのコピーは強烈だった。大人の世界への憧れだった。