正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

【1社目】キャリアの樹海から抜け出したいのなら己の足で歩けばいい!

『セールスガラス』の研修をお断りしたら、A社長は大激怒。
価値も機能もないと判断したものに、筆者は1ミリもお付き合いする気持ちは無かった。
その日から、A社長の必死の説得工作が始まった。
どうにか筆者を参加させようと、寡黙なA社長がよく口を開いた。
「君の将来の為になるのだよ。」
「会社命令だから断れないのだよ。分かっているだろ?」
「他の社員の目もあることだし。な?な?」
「行かないのならもう勝手にしろ!!!何も言わん!!!」
勤務時間中は社長室に呼ばれ、お昼になればランチを誘われ、夜になれば池袋駅近くの寿司屋に連れ出された。
A社長のメンツにかけて、筆者をなだめすかし、時には睨みながら圧をかけた。

退職届の書き方を調べなくてはと思う一方で、「行ってないのに何が分かるのだ!!!」とまたもや怒鳴られた時に、それもそうだなと妙に納得してしまった。
仕方がないので、「分かりました」と根負けしてしまった。
「おおお!そうか!」
「分かってくれたか!」
A社長は大喜び。
「君はやはり柔軟性のある人間だと思っていたよ!」
やはり訳がわからなかった。
社員教育の「手段」であるはずの研修は、筆者を参加させる「目的」にすっかり替わっていた。

とにもかくにも、筆者は参加の意志を示したのだから、A社長からの呼び出しはもうないだろうと内心ホッとした。
しかし、A社長の呼び出しは止まることはなかった。
筆者を呼び出しては、社員教育研究所の「地獄の名が付く特訓」の意義を語ってくれた。
次第に筆者は、『セールスガラス』 を初めて聞かされた時の気持ち、そう、あの無性に腹が立った気持ちを思い出した。
このような研修を受けさせる会社にいる自分は、間違いなく底辺の人材に違いなかった。
ここから抜け出さなければ、この会社に自分の一生を台無しにされてしまう。
この社長は一体全体何を考えているのだ?
筆者の人生を何だと思っているのだ?
A社長の話を聞いているうちに、吐き気がしてきた。

バブル崩壊直後から、現在の格差社会の「種」は社会のあちらこちらに撒かれていた。
このような社員教育も、格差を産んだ小さな種の一つだ。
間違った努力を会社から奨励され、よかれと信じてしまった為に、這い上がれなかった人や生き残れなかった人は多いのではないだろうか。

そして11月になった。
筆者は文字通り、行って帰ってきた。
帰ってきたのが研修終了予定の2週間後ではなく、翌日だった。
金曜日の午後に会社から移動して、施設に1泊し、土曜日の早朝に施設を出た。
行ってないのに何が分かると言われたので、行ってきた。
富士山麓で全員が白いジャケットを着用している姿は、某宗教団体とだぶり、かなりの気持ち悪るかった。
決して足を踏み込んではいけない世界だった。
もし、筆者が愛も教養もない家庭に生まれ育ち、大した学もなく、地元でプラプラしていたとしよう。
30歳手前で非正規雇用の働き口を得て、そこで数年が経ち、正社員になる条件としてこの研修に行けとワンマン社長に命ぜられた。
そのような境遇なら、筆者は迷わず参加しただろう。

施設というかサティアンに入所した翌朝、ひとり身支度を整え歩いて帰った。
「帰ります」と、起床していた数名に挨拶したら、きょとんとしていた。
土木や建設、訪問販売の会社の人たちだった。
山麓の冷たい空気はとても清々しかった。
朝日が射す林の道を歩いていたら、たくさんの鳥の鳴き声がハーモニーとなって響いた。
木々を抜けた幾重もの光が美しく、その間から鳥たちのシルエットが確認できた。
思わず感激してしまった。
スマートフォンもない当時、どちらの方向に向かって歩いたらよいか分からなかったが、気分がよくて気にしなかった。
30分弱ぐらい歩いたら、幸運にも民家が数軒ある場所にたどり着き、そこにバス停があったので時刻表を確かめた。
そこで30分ぐらい待ったらバスがやって来て、終点のJR身延線のどこかの駅で下車して帰宅の途についた。

週末はゆっくりした。
本屋に行って転職マニュアルの本を買い、退職届の書き方を学んだ。
月曜日に出社し、皆を驚かせた。
A社長は驚愕の表情だった。
またいつもの寡黙な社長に戻った。
帰り道は鳥の鳴き声が美しかったと話した。
このような研修に行かされる人より、鳥の種類がたくさん分かる人のほうが豊かな人生だと続けた。
A社長はワナワナ怒りを抑えていた様子だった。
「研修所に戻る気はないのか?」
A社長はぼそりと、そして何度も執拗に尋ねてきた。
「ないです。」
と、そのたびに素っ気なく答えた。
そして、11月末での退職が決まった。
(つづく)

 愛する家族の為に『セールスガラス』を大声で歌わなくてはいけない人がいることは、今は理解している。

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