正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

自分なりのやり方で転職をするしかなかった(当たり前だけど)

26歳で最初の会社を退職した。

最終出社日に社長に挨拶をしたら、「軽いな」と小馬鹿にされた。

これが私の転職物語の始まりの号砲であったように思う。

(どこが軽いのだ)と、当時の自分の心が燃え滾っていたことを今でも鮮明に思い出す。

その燃え滾っていたものは、次の職場で絶対見返してやるぞ!といった分かりやすいものではないかった。

なにせ次の働く場所を決めずに辞めていくのだから、見返してやる準備すらできていない。

自分の心のうちが燃え滾っていたのは、自分より10歳ぐらい歳上の社員の社内での発言が猛烈に恐ろしくて、ただ逃げ出したい衝動から自然発火した内なる炎が、「軽いな」で山火事状態になったのだ。

「若いっていいなぁ」と、35歳の課長は歳下の社員が転職するのを知ってそう答えた。

(え!? あなたまだ35歳ですよね……?)

30代後半の部長は「別にやりたいことはないよ」と、夕方疲れたようにオフィスの椅子にもたれかかった。

(え!? なんのために生きているの?)

10年も経てばこうなってしまうのかと本当に恐ろしかった。

そして恐怖だけが人を本当に突き動かすものだ。

「軽い」だの「落ちこぼれ」の烙印だのは、本当にありがたいことであった。

軽くなくて落ちこぼれで無かったら、35歳で見事に老ゾンビではないか。

幸運にも2社目では真逆の評価を受け、筆者のキャリアはそこからスタートした。

1社目の社長の「軽いな」から全てがスタートした。

それから10年が経ち、社長に近状報告と当時の感謝を込めた手紙を書いた。

筆者は36歳となり4社目となる企業に在籍していた。

手紙をどう受け止めたかは社長の自由だ。

筆者は知る由もない。

転職をするたびに、「軽い」「我慢がない」「組織に馴染まない」「自由すぎる」と、外野の小声は賑やかになる。

30代の頃は筆者のキャリアは、まるで“不名誉”なもののように扱われることが多かった。

某有名人材エージェントの人間と初めて面談した時は、「もう失敗できませんよね」と鼻で笑われた。

社数が多いことのどこが失敗なのだろうか?

40代に突入しても、転職をした。

筆者を見る周りの眼が変わっていった。

50歳で転職をしたいと48歳になって考え、コロナ禍を味方に昨年50歳の転職をした。

いつの間にか転職相談を受けるようになった。

「軽い」「我慢がない」「組織に馴染まない」「自由すぎる」人間が転職をするには、自分なりの転職のやり方が必要だった。

どこにも伝えようがない自分なりのやり方だけれども、それを聞きたい人たちが今では確かに存在しているのだ。

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「事業家にならざるをえないなら、自分なりのやり方が必要だった」

イヴォン・シュイナード パタゴニア創業者