26歳で最初の会社を退職した。
最終出社日に社長に挨拶をしたら、「軽いな」と小馬鹿にされた。
これが私の転職物語の始まりの号砲であったように思う。
(どこが軽いのだ)と、当時の自分の心が燃え滾っていたことを今でも鮮明に思い出す。
その燃え滾っていたものは、次の職場で絶対見返してやるぞ!といった分かりやすいものではないかった。
なにせ次の働く場所を決めずに辞めていくのだから、見返してやる準備すらできていない。
自分の心のうちが燃え滾っていたのは、自分より10歳ぐらい歳上の社員の社内での発言が猛烈に恐ろしくて、ただ逃げ出したい衝動から自然発火した内なる炎が、「軽いな」で山火事状態になったのだ。
「若いっていいなぁ」と、35歳の課長は歳下の社員が転職するのを知ってそう答えた。
(え!? あなたまだ35歳ですよね……?)
30代後半の部長は「別にやりたいことはないよ」と、夕方疲れたようにオフィスの椅子にもたれかかった。
(え!? なんのために生きているの?)
10年も経てばこうなってしまうのかと本当に恐ろしかった。
そして恐怖だけが人を本当に突き動かすものだ。
「軽い」だの「落ちこぼれ」の烙印だのは、本当にありがたいことであった。
軽くなくて落ちこぼれで無かったら、35歳で見事に老ゾンビではないか。
幸運にも2社目では真逆の評価を受け、筆者のキャリアはそこからスタートした。
1社目の社長の「軽いな」から全てがスタートした。
それから10年が経ち、社長に近状報告と当時の感謝を込めた手紙を書いた。
筆者は36歳となり4社目となる企業に在籍していた。
手紙をどう受け止めたかは社長の自由だ。
筆者は知る由もない。
転職をするたびに、「軽い」「我慢がない」「組織に馴染まない」「自由すぎる」と、外野の小声は賑やかになる。
30代の頃は筆者のキャリアは、まるで“不名誉”なもののように扱われることが多かった。
某有名人材エージェントの人間と初めて面談した時は、「もう失敗できませんよね」と鼻で笑われた。
社数が多いことのどこが失敗なのだろうか?
40代に突入しても、転職をした。
筆者を見る周りの眼が変わっていった。
50歳で転職をしたいと48歳になって考え、コロナ禍を味方に昨年50歳の転職をした。
いつの間にか転職相談を受けるようになった。
「軽い」「我慢がない」「組織に馴染まない」「自由すぎる」人間が転職をするには、自分なりの転職のやり方が必要だった。
どこにも伝えようがない自分なりのやり方だけれども、それを聞きたい人たちが今では確かに存在しているのだ。
「事業家にならざるをえないなら、自分なりのやり方が必要だった」
イヴォン・シュイナード パタゴニア創業者