企業や公務に勤めている人なら、定年退職は必ず訪れる。
仕事ができる人も、仕事ができない人も、仕事が好きな人も、仕事が嫌いな人も、職場で周りに好かれていようが嫌われていようが、評価が高かろうが低かろうが、全員に公平に定年退職は訪れる。
筆者が30代前半の頃に定年退職を迎えた男性が、「毎日あの満員電車に乗らなくていいのが一番嬉しい」と感慨気味だったので、「そんなことが一番嬉しいのですね」と、思わず口に出してしまった。
その男性に酷くムッとされたことを覚えている。
ここで齢50の我が身を振り返ってみるが、定年退職という4文字が全くピンとこない。
普通の50歳は、来るべきその日にいろいろと思いを巡らせるのだろうか。
年功序列制度の時代なら、50歳からの最後の10年はご褒美のように、“ゆったり”と働けた人も多かっただろうから、定年退職の意味なりを十分に考える余裕もあっただろうと想像する。
「自分が若いころは、工場長は偉いのに暇そうで羨ましかった。だから工場長になることを目標にずっと頑張ってきた。今、自分が工場長になったら、人員削減で人手が足らないので、一番ヒーヒーしながら働いている」と、某社の工場長が苦笑いをして話をしていた。
筆者には半ば窓際のような身分を堂々と享受している状態は耐えられないのだが、それが勝ち組の最終形と考えている人もいるのだろう。
窓際なのに年収2,000万の御仁をウィンドウズ2000と呼ぶそうなのだが、筆者はそのような人たちを羨ましいとは思わない。
ただし筆者は「いつも暇そうですね」と、他人から言われると褒め言葉と受け取っている。
他人には分からないけれども、筆者は筆者なりに忙しいのだ。
かといって、「私はまだまだ頑張れるよ!」「この会社には私の力がまだまだ必要だ!」と社内で気勢を上げる”無駄に元気”な中高年は痛い人たちが多いので、個人的には全く見習いたくない。
例えば筆者の中では、60歳の定年後に1年更新の嘱託社員として再雇用された御人で、大きな声を出して社内でアピールをし、その知識と経験を生かして若い人たちに指導をするどころか、思いっきりマウントを取って潰しにかかったり、ちょっとした意地悪を仕掛けていた人物を思い出す。
契約更新時期が近づくとさらにハイパーテンションになり、とてもウザかった。
実はこの人物は、筆者が入社して間もない飲み会での乾杯の席で、「これからよろしくお願いします」と筆者が突き出したビールのグラスに向かって、「おっと、お前とは乾杯しない」と言いながら自分のグラスを引っ込めたことがあった。
理由は、筆者がその御人の仕事の一部を引き受けるからで、自分の仕事を奪われてしまうから出た子供じみた態度であった。
その後、筆者はこの御人からのチクチクした嫌がらせみたいなものを受ける人間の一人であったが、会社に不利益を与えるようなあまりにも看過できないようなことを裏でやっていたので、「これ表沙汰にしますか?」と筆者が凄んでみせたら、筆者には急に大人しくなって攻撃を止めてしまった。
よく社内で「チクショー」と大声を上げていたが、権力や肩書きに強い憧れを持っていた御人だったので、重役ではなく一介の嘱託社員の身分である自分に対して「チクショー」と、敗北宣言をしているように筆者には聞こえていた。
自分の仕事人生の最後のミッションとして、若い世代を育てようとする素振りはなく、自分の契約更新の為だけに子供のように立ち振る舞う60歳過ぎの可哀そうな人であった。
一億総活躍社会の実現に向けてか定年延長や定年廃止を整備する企業も増えているが、オフィスは大きな困った子供を預かる託児所になってしまうのではないのか。
なんでも、感情をコントロールする前頭葉の働きは、60歳になると小学生並になってしまうそうだ。
筆者が今20代や30代なら、絶対に定年延長や定年廃止に反対するなぁ。