都内のルートセールスも慣れて半年経った頃、地方巡業と称する地方営業にも行かされた。
2泊3日の旅を2週連続やった。
旅好きの筆者には案外嬉しかった。
1人で行かせてもらえたし、当時は会社から携帯電話も付与されていなかった。
自由を感じた。
1週目は、仙台、いわき、日立、水戸。
東北新幹線と常磐線の旅だ。
2週目は、甲府、諏訪、塩尻、松本、長野。
中央本線と篠ノ井線の旅だった。
長野新幹線はまだ開業してなかった。
どちらの旅も1泊5,000円くらいの安いビジネスホテルに宿泊し、部屋のテレビの映りは悪かった。
当時は、ターゲットとなる海外への個人旅行客は大都市圏に集中していたので、仙台日帰り出張で十分だったろうに。
今でも懐かしい出張の思い出だ。
仙台駅から早朝5時頃の常磐線の普通電車に乗り、合計6時間ぐらい電車に揺られ、いわき、日立、水戸と歩いて回った。
早朝薄暗いうちに電車は静かに発車した。
太平洋側の福島と茨城の車窓は、とてものどかだった。
通勤時間帯になると、途中どこかの駅で高校生が大勢乗り込み、車内は一瞬で賑やかになった。
どこかの駅で皆降り、車内はまた静かになった。
16年後に東日本大地震と原発事故の被害に遭う地域になるとは、この時は微塵にも考えられなかった。
翌週は松本から長野に向かう途中、高台を進む車窓から善光寺平の美しい秋の景色を堪能させてもらった。
日本三大車窓の1つだそうで、車掌が車内にアナウンスをして教えてくれた。
地方巡業に出る前、C営業部長からこの人たちに会えと名刺を渡された。
訪ねて行けば、会社やC営業部長に好意的でない人達ばかりで笑えた。
C営業部長は、わざとそういった人達の名刺を並べて渡してくれたようだ。
地方でのドブ板営業ではあったが、ともかく自由を満喫した。
地方巡業から帰ってほどなく、月曜日の朝の朝礼でA社長の横に見知らぬ男性が立っていた。
社員の教育を研究する所という、へんてこな社名の人だった。
筆者が翌年退職する原因となった会社だ。
その話はこの先に書かせて頂くことにする。
この社員教育研究所の男性が、朝礼で何を話したのかはすっかり忘れてしまった。
社員一人一人に大きな声で挨拶させ、最後にご本人が『セールスガラス』を歌った。
額に汗してつくったものは、額に汗して売らねばならぬ涙を流してつくったものは、涙を流して売るものさくよくよするなよ、セールスガラス眼下を見下ろし、この街並みで男の舞を舞ってみよ数字が半分足りないときは、数字の二倍をやらねばならぬ人に遅れをとりたる時は、人の二倍を歩くのさ元気を出しなよ、セールスガラス眼下に広がる、この街並みで力の舞を舞ってみよ
気絶するような内容の歌詞だった。
感情を込めて大声で身体を震わせて歌ってくれた。
「はあ」「ふう」、どこからともなく社内に小さな溜息が漏れた。
社員は誰一人として、このような歌を月曜日の朝に聴きたくはない。
オフィスが溶ける感じがした。
当時の筆者は、何か無性に腹が立ったのをよく覚えている。
今の筆者なら、「この歌で成果がでるなら、歌えばいいんじゃないの」程度の感想だ。
「どうぞお好きに。こちらは先に行かせて頂きます」なのだ。
そもそも、泣いて働いて何が楽しいのか。
昭和50年代の高度成長期時代に作られた歌だそうだ。
バブル崩壊後の1995年当時の平成の世ですら、ひたすら頑張れば日本経済はまた復活するという根性論の繰り返しだった。
こう歌詞を変えても、失われた20年がもっと短く終わる事はなかっただろうけれど。
セールスガラスよりカラスのほうが遥かに頭がいいと思うので、カラスにたいへん失礼な歌だと当時よく思ったものだ。
(つづく)