正社員フリーター × 複業のBLOG

出世を目指すのとは違う、自由に働く努力 それが正社員フリーター × 複業(副業)

拙著『積極的副業人材』 http://amazon.co.jp/dp/B08BNJP42X/ 出世を目指すのとは違う、自由に働く努力。それが正社員フリーター × 複業。誰でも、もっともっと自由に働ける。外資 × バックオフィスで自由な正社員を20代から実践。40代後半になって、働き方、転職、複業(副業)のアウトプットを始めたこの頃。働き方の流行には注意喚起もする。 Twitter @ISehaooooo

【1社目】上司の理不尽なかわいがりに真夏の白いキョトンだった!

約2ヵ月ぶりにファイリングから解放された。
「あなたはファイル作業しかやらない。」
E課長に憎まれ口を叩かれても、筆者は以前の業務に戻れて素直に嬉しかった。
業務を指示したのはE課長で、筆者は大人しく従っていただけだ。
「いやっほー!」
そう思ったのは束の間だった。

1996年の8月は本当に暑い夏となった。
気象庁のウェブ・サイトで過去の気象データを閲覧できる。
各年の東京の8月の平均気温を調べてみる。

1994年 28.9℃
1995年 29.4℃
1996年 26.0℃
1997年 27.0℃
1998年 27.2℃
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2018年 28.1℃

おやおや!?
96年はそれほど暑くないぞ。
筆者には本当に熱く渇いた夏だったのに。
早朝の西池袋の繁華街。
ゴミ袋、残飯、赤信号に冷めないアスファルトの割れ目。
街のこもった匂いを嗅ぎながら、筆者はちょっと夏バテ気味に毎日通勤した。
味気のないカラスの鳴き声と、また1日が熱くなるよと昇る太陽が教えてくれた。

E課長の仕事の指示はコロコロ変わり、筆者は混乱をするようになった。
変わりやすいのは女心と秋の空だが、これは真夏の出来事。
『夏の夜の夢』なら結婚を控えた男女と森の妖精の喜劇。
こちらも同じく喜劇。
昼間のオフィスなので、妖精は見えない。
但し、筆者の頭上には、♪♪森永ピポピポ♪♪ 的な天使がグルグル廻っていた。
そして結婚は控えてはいなかったが、結婚を宣言した”三面怪人ダダ別名般若面またの名を不死身の鬼美濃”E課長はいた。

E課長は結婚相手が見つからず、焦って仕事に集中できないのか!?
そうではなかった。
筆者に対して、マウント・ポジションを取ろうとしていただけのように映った。
筆者のやり方の何もかもが気に食わないようだった。
あいにく、ドラマ『白い巨塔』の財前五郎と東貞蔵第一外科教授のように、重厚な子弟の確執の物語は微塵もなかった。
それ故に、山崎豊子氏に題材にして頂けなかった!?
残念無念!?
「私のレベルに到達するまでにはまだまだ時間がかかります!」
よく仰せだった。
筆者を成長させようと、いろいろと試したのかもしれない。
しかしながらE課長は、ご自身のことをよく理解されていた。
「私は人に教えるのが下手なのです!苦手なのです!」
「私は部下を持ってはいけないのです!」
本当にその通りだった。
悲しいことに筆者の上司だった。
E課長のご指導は、相撲界で言うところの「かわいがり」と呼ばれる稽古となってしまった。
厳しい稽古と暴力的な過度のシゴキは紙一重だ。
懐に飛び込めば、打ち解けて理解してくれる人でもなかった。
可哀そうに、人から愛された経験があまりなさそうだった。
社会に出てから、ずっと男社会の職場で苦労をされてきたご様子でもあった。

またある朝突然だった。
「今日は電話を取って、オペレーターの業務をしなさい。」
たしかに夏休みで電話番が少ないなとは思ったが、それならば前日に教えてくれてもいいだろう。
やりかけの業務を慌てて終えて、その日はオペレーター業務をした。
その週の朝、万年不機嫌モードのE課長に「ちょっといいですか」と会議室に呼び出された。
「貴方が応援で入った日は応答率が向上していません。貴方は会社に貢献していません。」
有給休暇の人が重なって応援に入ったのに。
「はあぁ。。。。。」
理不尽な物言いに言葉は無かった。

そして翌週、電話応対の講習会があるので行きなさいと命ぜられた。
なんかの協会に会社が加入していて、1名は無料で受講できるという。
講習会は勤務時間外で、通勤経路から外れた神田方面だった。
「講習後電話応対が改善しているのが認められたら、電車代を払います」と言われた。
さすがにちょっとカチンときて、「いりません!」と筆者はすぐに反応した。
勤務時間外だが残業代などつかないのは百も承知。
電車代の支払いすらE課長の主観で決まる。
この年の夏、筆者は理不尽という言葉を生まれて初めて噛み締めた。
頭の中は白いキョトンだった。

講習会の帰り、神田方面から御茶ノ水駅まで熱帯夜の中を足取り重く歩いた。
駅のホームに立った時、ムっとした空気が筆者を襲った。
さすがに疲れた。
「E課長にお見合い会社のパンフレットでも差し出してあげようかな?」
なんてまだそんな事を考える余力もあった。
(つづく)

 1996年は灼熱の白いキョトンな夏だった。

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