雨音はいつの間にか好きになっていた。
このコロナ禍で家に居る時間が長くなったせいであったと思う。
静寂の中で雨音に耳を傾けると、耳と心に心地よく雨音が響き、深く考えられるようだ。
梅雨の日の雨が上がらないある夜、音を求めてYouTubeで『雨あがりの夜空に』を聴いた。
この歌が好きだったT君を思い出した。
知り合った時はお互い25、26歳ぐらいの年齢だった。
T君は工業高校を卒業して家業を手伝った後、制御機器のエンジニアとして小さな会社に就職していた。
母親と妹に優しい家族思いの人だった。
忌野清志郎が大好きで、「忌野清志郎って、反権力でカッコいいよね」と、よく歌を口ずさみながら笑っていた。
筆者がローリング・ストーンズを観に東京ドームに行くと喜んでいたら、「ミック・ジャガーってビジネスマンぽいから大嫌い。あいつ金持ちだし。オレ金持ち大嫌い」と嫌っていた。
2000年に田中康夫さんが長野県知事に当選した時は、新聞を見ながら「いちはしだいがくって頭のいい大学なの?」と筆者に尋ねてきたので、「ひとつばしだいがくと読むのだよ。国立の難しい大学だよ」と教えてあげた。
「ふーんそうなんだ。政治家も金持ちだし嫌いだ」と何気なく答えていた。
「オレはずっと自由に生きるのさ。仕事はテキトー。会社の犬にはなりたくないし、大企業は搾取しているだけだよ」と勢いがよかった。
夏休みは2週間取って北海道にバイク・ツーリング、年末年始も3週間近く休んで地元の奴らと遊ぶと自由気ままに生きていた。
T君の勤めていた小さな会社が大手企業に買収された後、T君に会ったら喜んでいた。
お互い30代も半ばになっていた。
「買収されて大手になったら、なんかいいよね。聞いたことがある社名だと人から言われるからちょっと自慢。こないだなんか映画見ていたら社名出てたし。オフィスも綺麗だよ」と嬉しそうだった。
しかし、T君の笑顔は長く続かなかった。
37歳のころ、T君は失業した。
「他の人が仕事できるからってさ」と、会社でリストラの対象者となった。
その後彼は2年以上失業し、アルバイトをしながら食いつないでいた。
求人に応募しても書類で落とされると嘆いていた。
「全然雇ってくれないよ。大学出ていればよかったなあ。正社員になりたいよ。でも民主党政権になって失業手当が出る期間が延長されたので助かったよ」と、忌野清志郎サイコー、反権力サイコーと高らかな笑い声はもうなくなっていた。
40歳になる年にT君は人の口利きからようやく再就職することができた。
「もう失業したくないよ。老後が心配だから貯金しなきゃ。結婚したいけれど、余裕ないから無理だなあ」とすっかり大人しくなっていた。
再就職先は現場作業で、10歳以上近く歳の若い作業者たちから追い立てられていると聞いた。
どんなことがあろうが、どんなことをされようが、彼はもうそこに居るしかないのだ。
今でもT君は『雨あがりの夜空に』を聴いて、清志郎サイコーって言っているのだろうか。