人は何かを始めるのに遅すぎることはないことだけは確か。
20代にできなかったことが40代になってからできることもある。
年を重ねるにつれ、若い頃にできなかったことを一つ一つ拾えるようになると嬉しいものだ。
それが成長というものなのだろうか。
逆に若いころはできたのに年を取りできないこともあるだろう。
筆者は“年を取ったからできないこと”をあまり思い浮かばない人間なので、それは幸せなことだと思う。
自虐的な冗談でも年齢的な制限や限界のネタをちょくちょく持ち出す人は気をつけたほうがいいと思う。
20代 30代で年齢の自虐ネタを披露していた人たちは、中年と呼ばれる年齢になって見事に“こぢんまり”としているからだ。
まるで自分に暗示でもかけているようだ。
いい大人なので我慢という暗示の場合もあるのだろ。
我慢などせず“赤ちゃんプレイ”に励みたければ励めばいいと思うのだが。
高校球児より年上になると自分自身に年齢制限を設けてしまう人が早くもいるそうだ。
甲子園とは年齢制限の最初のシンボルなのかもしれない。
それにしても年齢は背負うもの(カッコよく表現すると)が増えるのであろうか。
その感覚が筆者にはよく分からないのだ。
例えば、「正社員になりたいです」「結婚したいです」ささやかな希望を持って面接を受けにきた20代の人材たちを採用し、感謝されて素直に嬉しかった経験が筆者にはある。
彼らが30代半ばを過ぎ、“もう一度一緒に働かないか?”と誘っても、「家のローンが」「子供がいるので」「嫁が反対して」と断われると、その人の人生なのでいいのだが、背負うものとは妙に切ないというか寂しいもののような気持がする。
ただ単に筆者に信用がないから断られたのかもしれないが・・・
まあ、いろいろとひっくるめて「もういい歳なので」という言い訳は格好がつくものだ。
「もういい歳なので」は損得勘定ができる大人になった印のようなものでもあり、振り子の
振れない人生を歩んでいるかのようでもある。
安心、安全、安定は世間様の評価の対象にはなるが、自分の人生の振り子を振れない大人はとてつもなくつまらないものだ。
30代40代で振れ幅が小さくなった大人たちを励ますというか喜ばせる人物が2名いる。
TwitterやSNSでは伊能忠敬とカーネル・サンダースが大人気だ。
伊能忠敬は55歳から測量の全国行脚を始め、カーネル・サンダース65歳で事業を興した。
挑戦に年齢は関係なく、彼らは何事にも負けず、新しい人生は何歳になっても始められると賞賛されている。
伊能忠敬とカーネル・サンダースのネタには“いいね”が安パイで貰える。
何かを始めるのに年齢は関係ないのはその通り。
しかし、55歳や65歳から突然のやり直しではなく、その年齢までの生き様の貯金残高の賜物であることを忘れてはいけない。
人生の途中で振り子を振れなくなった人物が、突然50代からスイングできることはない。
これはまるで、伊能忠敬は55歳カーネル・サンダース65歳の呪文のようなものだ。
この呪文を求めている人はせめてもの気休めが欲しいのか、呪術的効果のミラクルが必要なほど追いつめられている中年なのだろうか・・・と思う次第なのだ。