1996年1月16日の朝礼で、筆者は「異動の意気込み」の挨拶を勝手にやった。
全社員を見事に凍らせた。
その後、初めての経験、手配の業務に早速取り掛かった。
事前に予備知識をインプットされる時間もなく、業務マニュアルもなかった。
実務から直接学ぶ体学問だ。
手配の業務は、実に単純な作業の繰り返しだった。
改めて書くが、筆者の1社目は旅行業で、海外ホテルの予約手配の専門会社だった。
当時急増していた個人旅行者が、世界各地のホテルの予約を依頼する。
ガイドブックなどを参照して、このホテルと指定してくる。
当時は個人旅行者であっても、団体ツアーのように旅行代理店に予約の申し込みをした。
ホテルの予約を依頼された旅行代理店は、筆者の勤務先にホテルの手配を依頼する。
筆者の勤務先は、各国・各地域のローカルの代理店に予約を取り次いでもらい、指定されたホテルの部屋を確保する。
予約が確定したら、今度はそのプロセスを逆にたどり、最後には旅行代理店から個人旅行者に予約確定の連絡が届く。
筆者の役割は、ローカルの代理店に指定されたホテルの手配を依頼し、予約の確定を取り続ける作業だった。
たったそれだけだった。
個人旅行者 ー 旅行代理店 ー 筆者の勤務先 ー 現地旅行代理店 ー 海外ホテル
1人1泊1万円前後のホテル料金。
なんと仲介業者が多いことか。
薄いマージンを各プレーヤーが分け合っていた。
ついでの理解として、当時の海外旅行業界の簡単な概要を書かせて頂く。
1995年の海外旅行市場は、上位50社の取扱高で2兆929億円。
そのうち最大手のJTBが約25%を占めていたので、5,200億円。
新興のH.I.S は4.4%の920億円だった。
当時はバブルが崩壊しても、海外個人旅行者が伸び盛り。
団体ツアー中心の市場に、個人旅行者が台頭していた。
H.I.Sを中心に、個人旅行者向けの格安海外旅行代理店が成長していた。
筆者の1社目もその流れに乗っていた。
売上はその頃6~7億円ぐらいだったと思う。
格安海外航空券を求める個人に、格安海外ホテルの予約もどうぞといったビジネスだ。
現在なら個人が直接Web予約が普通だが、当時は旅行代理店のカウンターで対面販売が主流だった。
ツアー団体客中心の老舗大手は、 新興の格安代理店を 「バッタ屋」と小馬鹿にしていた。
筆者の1社目もその「バッタ屋」として軒を構えていた。
しかし、個人旅行者急増から、大手もそのマーケットを無視できなくなっていた。
大手各社は、海外個人旅行者向けの専用カウンターを展開し始めた頃だ。
一方の中小格安代理店は、信用不安の話もよく聞いた。
「 予約した旅行会社が航空会社に支払をしていなかった。お蔭で成田から出国できませんでした。」
こんなエピソードは毎月のように聞いた。
C営業部長も支払の滞った代理店に足を運び、取り立て屋に変身していた。
因みに、2017年の上位50社の海外旅行取扱額を調べてみたら、2兆653億円だった。
JTBは約29%の5,955億円で、H.I.S は19%の3,921億円だった。
市場規模全体は22年前と見事に変わっていない。
若者の海外旅行離れが言われて久しいが、結局お金がないのだ。
日本はずっと不景気で、若者たちは貧しくなった。
あらら、筆者の異動の話から逸れたままだ。
次回も逸れた話から続く。
当時の海外旅行業界の人材の話から続けよう。
先を急ぐような話でもないので、また次回に続く!
どうせ「バッタ屋」呼ばわりされるなら、このくらい振り切りたかった!かなぁ。。。。