中年男性を指す「おじさん」が変化をすると、ご存知「オッサン」で、おじさんを軽視した意味合いを込めて用いられる。
「おばさん」はどう変化すると軽視した意味合いが込められるのだろうか?
「オバッサン」になるのか?
それはさておき、暇なのに余裕がない男が中年になると、間違いなく「オッサン」になる。
働かないオッサン問題の話題は腐るほど溢れているけれども、働かない人を働かせる方策など考えるだけ無駄だと思うので、さっさとクビにして活躍できる場所を奪ってしまえばいい。
日本は正社員を簡単にクビにできない制度が厄介だ。
たいして働かないから暇なはずのオッサン達は、そのくせ余裕がない。
中年の余裕のなさをツラツラと書いてもちっとも面白くないし、他人様の人生設計にケチをつける気も毛頭ない。
しかし、40代に突入してTwitterに「〇〇を要求します」と、国や政府にもっと金出せ権利を当てなくし続けるのは、さすがに暇で余裕がない人とレッテル貼りをしてしまいそうになる。
ところで、オッサンたちが働かなくなる根源として、年齢を重ねたけれども成功できなかった自分への敗北感みたいなものが多かれ少なかれあるからなのだろうか。
いい歳して子供のようなナイーブな精神を披露するよりも、「自分はまだ成功していない」という身軽さや気軽さの有利性を、40歳を超えてからもっと理解をしたほうがいい。
そのような人たちのほうが、過去のヘタな成功体験から抜け出せない人たちよりも、何歳になっても自由で健全でマトモな精神であり続けられるのだ。
年齢は重ねたが成功を全くしていない私自身は、忙しいけれども余裕のある大人になることにした。
年の功で仕事はサクサク小指でくるくる回して、金曜日の午後の早い時間には乾杯と決め込むのだ。
乾杯。