E課長が般若の形相になって怒る。
筆者に怒る。
毎日怒る。
午前も午後も怒る。
それでも足りないので、もう1回おまけのように怒る。
お蔭様で、筆者は見事に1日3回は怒られた。
E課長のヒステリックな怒り声が大きく響いた。
狭いオフィスだったので、音響効果は抜群だった。
3ヶ月も続くと、もはや社内の風物詩。
E課長が連獅子の鬘をかぶり、般若面を付けると舞台の幕が上る。
1日3回の「It's Show Time!!」。
歌舞伎舞踊の連獅子は、親獅子が訓練のため子獅子を谷底へ突き落とす。
E課長の場合は、己のやり場のない怒りの発散の為であった。
一方で、筆者には殆どその怒りが響いていなかった。
ダメージは少なく、精神的な谷底感はなかった。
相変わらずの天真爛漫男であった。
「谷川さんは天真爛漫でいいですねぇ」と、課長に幾度も嫌味を言われた。
「ええ。いい両親にスクスク育てられましたので。」
一度こう返答したら、E課長のご尊顔は般若の面どころではなくなった。
「う!やばい!」と、筆者は生命の危機を感じた。
フランダースの犬のネロよろしく、「おいで、パトラッシュ!」と、純朴な小走りを決めて一目散に逃げた。
エアーパトラッシュは可哀そうに逃げ遅れ、般若に捕獲されてしまったのだろうか。
筆者はあの時以来、筆者のエアーパトラッシュを目撃していない。
恐ろしくて振り返って確かめる勇気がなかった。
FAXマシンの紙詰まりで怒られたように、理不尽なことでも筆者は何度も怒られた。
カラスの糞が落ちてきても、筆者のせいにされそうな勢いがあった。
ちょうどその頃、筆者の同期がカラスに糞を頭から落とされ、オフィスに逃げ込んだ。
当時の池袋西口はカラスの楽園だった 。
被害者がE課長でなくてよかった。
「貴方がカラスを仕込んで私の頭の上に糞を落とさせたのね!」
なんて怒られることを想像して、ちょっと面白かったけれども。
筆者に非がないことも、勘違いしてE課長は筆者を真っ先に怒った。
筆者は他の社員の避雷針となっていた。
筆者に非がないと後で気が付くと、E課長のバツの悪そうな仕草がちょっと可愛らしかった。
「お、課長もオンナだな」と一寸思った。
オフィスにゴキブリが出た時、「きゃ!」としたのを目撃した時は、「課長のブリっ子は気持ち悪い」と思った。
キャラ的に踏み殺すと思ったが。
E課長は本当によく怒った。
新たな宇宙を誕生させるビックバンの如く、怒りのエネルギーは凄まじかった。
突き詰めれば、御身の境遇が怒りの主な原因だった。
実は、E課長は入社半年で辞表を提出していた。
筆者が部下になって間もなくのことだった。
既に会社に愛想を尽かしていた。
「こんな会社!」とよく呟いていた。
あいにく、ここは選手層の薄い中小企業。
簡単には辞めさせてもらえなかった。
「後任を入社させるので、引き継いでから辞めるように。」
E課長は会社のお達しに真面目に従った。
会社は急遽経験者を入社させたが、その後任候補が1ヶ月持たずに退社してしまった。
「あなたが私の後任です!」と、E課長が必要以上のプレシャーをかけた結果だった。
そしてE課長はぷっつんした。
突然、地中海のマルタ島に旅行に行ってしまった。
「忙しいのに。オレは認めなかった」と、C部長はブツブツ言っていた。
1週間以上不在で、オフィスは静かで筆者は嬉しかった。
「会社が辞めさせてくれない」と、帰国後E課長は周囲に寂しく漏らし、再び怒りながら働いた。
「え!辞めることができない会社などあるの???」
「え!オレはやばい会社に在籍していないか???」
筆者はドン引きしてしまった。
「職業選択の自由ってありますよね」と。
筆者はE課長を可哀そうな人だと思い始めた。
あまりにもショッキングだったので、エアーパトラッシュの捜索をすっかり忘れてしまった。
池袋西口界隈の電柱に、「探し犬」の張り紙をし忘れた。
カラスだけは、「カー、カー」鳴いて、電柱の上から池袋の街に糞を落としていた。
(つづく)
筆者のパトラッシュは何処に消えたのだろうか?